キエフの8歳の子どもが「戦争の終わらせ方」を検索したということが話題になりました。
私は、最近記事を書き溜めていますので、この記事をあげる日に世界からあらゆる紛争や戦争が終わっていることを願うばかりです。
しかし、そういう日が来ることは難しいのでしょう。それは、”世界中の猫がいつか喧嘩しなくなりますように”というような願いに近いのかもしれません。
人間だけが特別で戦う本能から逃れられるというのは驕った考えなのかもしれません。
国連の広報ページには世界平和のために国連が何をなすべきか書かれています。紛争予防、平和維持、強制措置、平和構築。国際法についても記載があります。
国連は創設されて今年で77年です。終戦からもうそれだけ経ったのだと思わされます。100年を待たずにまた大戦争が始まってしまうのでしょうか。
国連ができることは、国連軍の派遣だけではないのかもしれません。いかにして、紛争や戦争を防止するかというのは人類の永遠の課題です。紛争や戦争を起こした相手に対しての人権的配慮というのは理解しづらいことですが、政治犯ではないくその国に暮らす人への配慮のことかもしれません。ましてや、一方が悪と決めつけられないこともあるでしょう。
しかし、誰かが誰かに殺されてその復讐という手段に軍事侵攻を選べば、平和的解決など望むべくもなく多くの血が流れるでしょう。
戦争をどうやったら止められるか。
疫病に関してはテレビやネットでよく「過度に恐れず正しく理解して恐れよう」という言葉が言われます。戦いに関してはどうでしょうか。相手を正しく理解すれば過度に恐れる必要はないのでしょうか。
では、その相手とは誰なのでしょう。国でしょうか。個人でしょうか。
ではその相手とは誰でしょう。3月の1周目、ハリコフ、ルガンスク、ドネツクヘルソンなどの都市がすでに制圧されています。
私は大規模な何かが行われる時に、例えばそれが企業のプロジェクトだとしても一人に責任があるということは少ないのではないかと思います。
日本には、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がよく聞かれます。なぜそのような経緯に至ったのか、原因究明が大事なのであって、誰に責任を負わせるのか、結果が出る前に考えても仕方がないでしょう。
東側地域は決して安定した情勢ではありませんでした。ミャンマーでは軍政権が民衆の弾圧を繰り返し、中国では人権弾圧の声が聞かれます。
民主主義はこのまま消えてしまうのでしょうか。
なぜ東側が今日このような情勢に至ったのか、考えてもまだよくわかりません。