私が理科教員になるまで(2)〜最初に通った大学での私〜
高校教員を務めて18年弱。
なぜ私が理科教員になろうとしたのか、改めて振り返っている。
(1)に引き続き、今回は大学時代のことについてつらつらと。
不本意入学から始まった大学時代
何だかんだで、高3になってからは、理科教員養成の大学が本命であった。
でも、幅広くいろいろなことを学びたいという思いもあり、総合学科も滑り止めで考えていた。
ところが、センター試験直前になってスランプに陥り、センター試験では思うような結果が出なかった。
結局、滑り止めで考えていた私大の総合学科に進学することになった。
最初の大学
ところが・・・
その学部では文系・理系両方学べるかと思いきや、ほとんどが社会科学系とコンピュータ関係の授業。
コンピュータ関係の授業はともかくとしても、思っていたことと全然違ったのでがっくり。
私の勉強不足のせいもあったのはもちろんのことだけれども、何じゃこれは?といった授業が多かった。
しかも、郊外のニュータウンにあったということで、予想以上に不便だったという有様。
良かったのは学食と特定の授業のみ。
(この当時、オープンキャンパスに行って、事前に調べるなんていう発想はありませんでした💦)
正直なところ学校に行く気にならず、サボってばかりいた。
(当時の関係者の皆様方、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでしたm(_ _)m)
それでも何とか理系(化学)に関係することを学びたいと思った。
そこで最初に巡り合ったのが1年で学んだ地理学という授業。
当時の地理学の授業では、地球環境問題を扱っていた。
環境問題の原因は、二酸化炭素などの様々な物質、ひいてはそれらの化学反応のしかたによるものだということをその授業で学んだ。
レジュメとテキストをもとに、担当の先生がほとんど一方的に話される講義形式ではあったものの、わかりやすい内容で引き込まれていった。
そして、2年になって、環境論&工学概論という授業を受けた。
環境論は地理学と同様、地球環境問題と地域の環境問題について学んでいくという内容。
工学概論は、化学・機械・電気・資源開発など、様々な工業の概略について学んでいくというものだった。
この授業は先生から渡されたレジュメを先生が読まれ、内容を理解していくという形の授業。
人によってはタルいと感じるかもしれないが、先生が温厚だということもあり、ゆっくりじっくり知ることができたと当時は思っていた。
また、質問にもきちんと対応していただいた。
3年になって、この先生のゼミに配属されることとなった。
3年では水利用計画論という授業を受けた。
担当は気さくな中国人の先生で、BOD(生物化学的酸素要求量)やCOD(化学的酸素要求量)、水文学の基礎のようなことをわかりやすくご教授いただいた。
しかも、大学院の授業ではさらに深い化学絡みの授業もされていた。
(あまり大きい声では言えないが、当時この先生に頼み込んで、大学院の授業にももぐらせていただいたことがある💦)
ちなみに、1年では自然科学の概論に関する授業があった。
(授業のしかたや内容については、綴れるようなものではないので割愛する。)
それでも、自然科学に関する本を読み、その感想を文章にまとめるというレポート課題を夏休みに取り組んだ。
最初はイヤイヤやってたものの、科学論・科学史って結構面白くない?ともこの時からは思えていた。
他学部履修制度で理工学部の授業に参加
この他、3年になって他学部履修制度を使い、夜間に行われた環境倫理や応用生物科学という授業にも参加した。
(この時、先生方からは私のことを奇人変人と茶化されていたけどね(笑))
環境倫理の担当は水環境・衛生工学がご専門の先生。
先程述べた地理学・環境論とほとんど同じ内容だったものの、受講者が社会人の方を含め10人いるかいないかということで、授業内容絡みで対話という名の雑談が多かったというのが印象に残っている。
応用生物科学という授業では、細胞の構造・代謝・タンパク質の合成といった、生化学の基礎に触れた。
高校では1年生の頃に生物の授業を受けて以来、全く触れていなかったので、タンパク質の合成などは特に「へ?( ゚д゚)」という感じだった。
それでも、酵素のはたらきや代謝は面白かった。
実は当時、この授業に参加しようとした動機をはっきり覚えていない。
それでも、この授業に参加したことが、今の私に繋がる糸口だったのかな?と今になって思う。
例えば、この頃から「タンパク質の合成って何?そんなに強調する必要あんの?」ということはずっと気にはなっていた。
それが教員として生物の授業をし始めたときに理解でき、生物学の面白さがわかるに至ったということか。
ゼミと卒業論文
3年では環境論のゼミに配属された。
特にゼミのテーマにある「資源循環」という言葉に惹かれた。
ゼミの指導教官は資源工学・金属リサイクルがご専門だったが、様々なリサイクルの手法や環境問題について幅広い知識を持たれていた。
私は3年の後期にはすでに早い時期から進路を考えて、卒業論文のテーマも早いうちに決まっていた。
テーマは名古屋市における生ゴミのリサイクル。
私の実家は料理屋で、売り物にならなくなった食品・料理を大量に廃棄する様子が度々見られた。
食品の原料は生物の命。
生命とは「いかす」もの、「いかされる」もの。
それを捨てるということは、生命に対する冒涜ではないかという思いもあった。
そういった食べ物でも何とか活かせないものかと考えたかったので、卒論テーマにした。
(今では見るのも恥ずかしいくらいのグダグダな内容だったけどね💦)
とりあえずここまでで一息
ここまで綴ってきたことは、「これだけ頑張ってきました!」というアピールではない。
むしろその逆。
滑り止めで妥協して後悔しても、何とか好きなことをしようと執着したことについて綴っている。
私はすでに高校時代から、高校の教員になりたいという思いはあった。
なおかつ、多くの分野について学びたいと思ってもいた。
しかし、どこかで妥協し、本気になりきれていなかった。
その結果として思うように行かず、遠回りの人生になっていったのではないかと今になって思う。
(遠回りして得た経験も多かったけどね)
正直なところ、自分が関わっている高校生に対しては、紆余曲折や遠回りが多すぎて、後悔ばかりする人生を歩ませたくはない。
自分がしたい&なりたいことを明確にする。
したい&なりたいことには素直に向き合い、妥協せず本気で取り組む。
思うようにならない状況でも希望を忘れず、したい&なりたいことに少しでもつながることをする。
こういったことを彼らに伝え、なおかつ私自身も実践することがだと今になって思う。
ここから先の話は別の記事にて。
長文ながらもお読みいただきありがとうございます。
理科教育力向上ラボ
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