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冷静さを欠いた「冷静」

子供の頃から、何か起こった際に、大人しくするとか、熱くなって感情的な発言をしないとか、ただ過ぎ去るのを待って終わる事が多かった。
そしてそれを冷静な対応だと思っていた。

だいぶ前に、老人がバスで子供に暴力をふるったらしい動画を、twitter上で見た。あの場に居たら自分は何が原因だったのか、きっかけは何か、悪いのはどちらだとか思いながら「冷静」に判断できたかなと考えていた。きっと身動き一つせずに、いつものように見守っていたと思う。
そんな時に、「先ずは子供を暴力から離して、守ってやる事が先だろ」と言う投稿を見て、ハッとした。
そして気が付いた。
これまで自分が「冷静」を“装って”とっていた行動は、ただの傍観じゃないかと。
そう考えた瞬間、思い当たる事が多々あって一気に胸が苦しくなった。

本当に冷静なら、恐らく行動する事や、気をかけるべき人や言葉とか、色々な選択肢がある事に気が付き、そして行動するはず。

自分の行為は、一歩引いた場所から傍観して、識者気取りのコメンテーターみたいで、恥ずかしさがこみ上がる。

冷静な対応とは、落ち着きはもちろん必要だけど、その上で、どんな状況であれ視野を広くもち、様々な選択肢や可能性を考え、そこから判断できる事が、本当の冷静な対応なのだと思う。
年を重ねてからも色々と気づかされた事が多いと同時に、自分自身の未熟さを実感した。

もっと自分自身を冷静に見るべきなのかも知れない。

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