都会に戻りたいか戻りたくないか、いや行ったり来たりしたい。
東京にいる間、浪人時代から10年、とにかく暇な日がなかったと思う。それこそ震災の時だって、仕事どうなるかなーとかばっか考えてた気がする。
多分仕事が好きなんだと思うし、忙しくして解決してすっきりしていくのが好き。性質テストでは達成意欲がものすごく高いそうだ。超納得。
10年の間に4社くらい経験してる。そしてどこも多忙だった。
1.テレビ系下請け会社(大手事務所会員向けケータイサイトの運営チーム所属)なんかマスコミ系探してて、4月下旬に面接うけて翌日から行った。何が怖いって日があけるまで、誰かひとり、青山のツインタワーの1フロアで更新確認してから帰るという苦行つきだったこと。でもここの人たちのキャラのたちっぷりが後世に残るんじゃないかってくらいすごかった。未だにみんな優しい。部活みたいだったな。初めてSEの人ってすげー。というのを目の当たりにする。ツール作るときの希望だしに、ツールのデバッグしながらコメントしていく係もやる。ここからシステム屋さんとのやり取りが始まって今後役に立つことになる。
2.その部署だけが独立した会社(みうらじゅんの事務所と同じマンションを賃貸)4社くらいっつーのは場所が変わっただけでチームごと退職した。という。裏の話は下っ端にはわからなかった話。前職最終日に、とりあえずこれ写してねってみんなで退職届かいたんだったよな。ここでもなかなか楽しかった。東京でサバイバルしてこの会社をなんとかしようみたいな上司が素敵だったが、ストレスすごくてやめた。お部屋も暗かったんだよな。。。。
3.うつ状態からの脱却、プリ〇ラの会社(実はここが一番つらかった。)で携帯側サイトのディレクター(ここも入ってから知ったかなり力のある部門涙)。ここで本気のたたき上げの修行をさせられる。なんのためにやってるのか、根拠はあるのか、なんなんだ!!みたいな。厳しかったのはこの部署の私の上司だけである。みんなに愚痴をいわなかったことを褒められた。つらかったけどやるしかなかった暗黒の時代。一緒に乗り越えた先輩とはもちろん今でも仲良し。ここでシステムの人とやりあうことになるが、どういうところが難しいのかわからないとか、やんわりだけど希望をだす伝え方とか、喧嘩じゃなく話を進める、落としどころを考える打ち合わせができるようになってきた。信頼関係構築まで時間はかかったけど、成功体験。
4.得たいの知れないがちがち営業会社のシステム部門のディレクション(異種すぎて放置されるわ評価されないわがつらかった)からの産休育休からのチーム進捗管理(実はこれがめっちゃハマってた気がする。)。仕事を100パーでできないストレスを私のいない間におわらせておけよスタイルに変更。結構これ楽しかった。なんというかお仕事のメンターな立場というか。でもやっぱ自分で動けないって面白くない。ただ、子供いるのにほぼ休まない、且つ誰よりも早く出社して仕事するという異業を成し遂げて、総務の人たちに変人扱いされていた。
まーそんなこんなで今も忙しいけど、それに比べればまったく30パー程度なわけで。寝る間も惜しんでのターンを引き寄せたい次第なのである。
こっちでも忙しいけど、都会の生き急ぎ感とそんな中でのくっそ遊んでやる感みたいのがいいんだよな~ないものねだりではあるけど、がちゃがちゃしていたいのである。
あー新幹線でいったりきたりしたいぜー