【読書】『Coyote No. 72 星野道夫 最後の狩猟』
2020年11月に発売された雑誌『Coyote』の最新号。写真家の故・星野道夫さんをテーマにしていて、時間のあるときにじっくり見ようと思っていたのを、年末年始で読むことにしました。
星野さんは私がもっとも尊敬する写真家です。大分と前から、アラスカの風景や動物、そこで暮らす人の姿を撮影した写真集やエッセイを繰り返し読んできました。星野さんの書く文章にはあまり出ては来ませんが、写真家であるとともに、あるいは写真を撮るために、アラスカの地を丹念に歩いた人でもあると思います。そこにも大きな魅力を感じます。
以前に紹介した本『写真家と名機たち』は、ローライフレックスを使っていた写真家にはどんな人がいたのだろうと思って手に取った本でしたが、実は目次を見て星野さんのことも紹介されていることを知り、星野さんの愛機はローライではなくニコンなどでしたが、真っ先にそのページを読んでいました(下のエントリではそのことには触れませんでしたが)。
『Coyote』では、創刊まもない第2号を始めとして星野さんの特集をたびたび行っています。今回が4度目となるはずで、その全冊をそろえています。
亡くなっている人の特集をそう何度もできるものかとも思うのですが、各回、いろんな切り口から充実した記事と写真を1冊にまとめてくれていて読みごたえがあります。
今回は「狩猟」という視座を立てていますが、奥様の寄稿や姉妹誌の『SWITCH』に昔掲載されたテキストに加え、服部文祥さん(『サバイバル登山家』『息子と狩猟に』など)による星野さんと狩猟についての文「星野道夫が残した狩猟の匂いという道標」が興味深かったです。
また、アラスカのさまざまな自然や動物をその色彩とともに切り取る星野さんの写真は「カラー」だということを、これまで特に何も考えることなく受け入れていましたが、今回の『Coyote』には星野さんが中判や大判のカメラを使って写したモノクロ写真が何枚か出ていて、強く印象に残りました。そのページには以下のようなキャプションがつけられていました。引用します。
アラスカ北極圏とカナダ北極圏の国境沿いの原野にある村。中判カメラと大判カメラを駆使して自然写真を芸術の域に高めたアンセル・アダムズの写真をなぞるように、星野道夫は大判カメラで撮影した。これまで頑なにカラー写真にこだわり、色鮮やかにアラスカの雄大な自然とそこに生きる野生動物を写真に収めてきた星野だったが、先住民の古老たちが生きていた時代に思いを馳せ、モノクロフィルムに焼きつけた。(Coyote No.72より)
自分が初級者ながらモノクロ写真に最近興味を持っていることもあり、星野さんがモノクロで写した人物や風景の写真、特に、上の引用にあるようにアンセル・アダムスを思い起こさせるような、雲が印象的な写真に、つよく惹きつけられました。
このように、今回の『Coyote』も購入してよかったと思えるだけの密度の濃さを持ったものでしたが、読んでいて違和感を覚えたところがひとつありました。星野さんに生前防寒具やテントなどをサポートしていたというノースフェイス(ゴールドウィン)の方渡辺貴生さんのインタビューからノースフェイスの一部店舗紹介に至る箇所です。
現在ゴールドウィンの社長をされている渡辺さんのインタビューは、「そんなことがあったのか」と非常に興味深いものでした。ただ、そこからノースフェイスの子ども向けイベントや商品開発や星野さんの写真を飾るノースフェイス店舗の紹介に続くくだりは、宣伝の臭いが立ち込めてきます。素人の推察ですが、実際にここは「広告」的な扱いとしてノースフェイス(ゴールドウィン)から宣伝費が出ているのではないかと思います。
私はふだん雑誌を読まないので、こうした手法が出版の世界でどれほど一般的なことなのかわかりません。あまり気にすべきほどのことでもないのかもしれません。でも、雑誌の制作陣がしっかり取材をして読者に提供する「記事」と、スポンサーからお金をもらって作成した「広告」は、どこかで線引きをする、あるいはこの部分は広告の要素があるということが読者にわかるようにすべきではないかと私には感じられます。これは古い考え方なのかもしれませんが、その境界をぼやかしてひとまとめに提示するのは、読者に対してどうもフェアでない気がするのです。
そして、そんな小うるさい読者にとっては、このような形で紹介された企業も好感度を高めることができません。たまたま気になっただけかもしれませんが、全体としてはとてもよくまとめられている今回の『Coyote』の中でどうにもこの箇所が気になったので、最後に書き添えておきます。