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郵便すら届かない秘境中の秘境、礼文町召国に行ってきた話

はじめに

 多くの人にとって、郵便はとても身近なものであるだろう。古くから情報伝達の手段として使われており、個人間の手紙や企業の広告等の多くの文書が日本中を駆け回っている。また今日では、インターネットの発達に伴ってネットショッピングも盛んになっており、一日の郵便総差出数は5,700万通にも及ぶ。

 そんな身近でありがたい存在の郵便であるが、実は「交通困難地」と呼ばれる、郵便の配達できないエリアも存在する。

https://www.post.japanpost.jp/about/yakkan/1-7.pdf

 この画像は内国郵便約款の抜粋である。除雪がされないために冬季は行けない場所、定期便のない一部離島、山頂などまともな道路が存在しない場所などが該当する。具体例として静岡県駿東郡小山町 須走字本八合目や岐阜県揖斐郡揖斐川町門入(旧徳山村)等がある。都道府県別では長野県が最も多いが、意外なことに北海道では3カ所しか指定されていない。そのうちの2つを占めるのが礼文郡礼文町メシクニ(召国)およびメシコタイである。
 今回は礼文町の2カ所の交通困難地のうち、召国を訪問してきたのでここで紹介する。

礼文島 召国を訪れる

礼文島について

画像はhttps://rebun-trail.jp/trailmap/より

 というわけでやってきたのは北海道礼文郡礼文町。ここはとても自然豊かな島で、北海道北部の稚内からフェリーで1時間程度のところに浮かんでいる。メシクニに行くためには、礼文島北側の浜中までバスに乗るのがおすすめだ。レンタカーや原付のレンタルもあるが、離島ということもありかなり高額である。
 ちなみに、私は本土から持ち込んだ電動キックボードで召国を目指した。同行者は原付をレンタルしていたが、普通車のレンタカーを借りた方が安かったかもしれない。

持ち込んだキックボードは「E-kon grande street」

西上泊分岐~召国分岐点

西上泊分岐
召国方面はここを上っていく

 8時間コースのスタート 浜中からしばらく進むと、西上泊の分岐点が見えてくる。ここまで舗装路が続いてきたが、ここからはあぜ道ともいえるような未舗装となる。ちなみに、舗装路はここを直進して澄海岬へと向かっていく。

 西上泊分岐で別れてからは原野の中を進んでいくことになる。途中に店やトイレなどは全くなく、ライフラインはおろか携帯すら使えなくなってしまうため注意が必要である。
 ここら一体の原野は林野庁の管理であるようで、高山植物を保護するために道路以外は立入禁止となっている。

召国分岐点~召国集落

召国分岐点
←宇遠内 召国→
地図には召国方面の道は描かれていない

 西上泊分岐点から2.5㎞程度進むと、召国分岐点と呼ばれる地点にたどり着く。画面左側は8時間コース 宇遠内方面、右側が召国方面へと続いている。ここでトレッキングコースから離れることになる。 

しばらくは車両の通れそうな道が続く
急な下り坂

 召国分岐点から800m程度進むと、車両の通れそうな道は終わりを迎え、ちょっとした広場に出る。かつてはここまで車を使い、ここからは歩いて集落に向かっていたのだろう。

広場から少し進んだところ
車両はとても通れるような広さではない
足元を見るとかなりの崖になっていた
ちょっと転ぶと谷底へ真っ逆さまだ
切り立った崖をつづら折りで下っていく 
平成21年に整備された町内放送の設備があった

 割と北海道各地で見ることができる切り立った崖は、離島である礼文島でも見ることができる。この時点で召国集落が見え隠れしていたが、まっすぐ下っていくと45度をも超えてしまうような急な坂になってしまうため、つづら折りでゆっくり下っていく。
 途中に平成21年に整備された町内放送の設備があった。少なくともそれまでは人が住んでいたのだろうか。
 礼文町役場に確認したところ、居住者が0の場合は管理をやめる方針であるとのことであり、恐らく今後は更新されないものと思われる。

ここからはさらに道幅が狭くなる
20㎝もない道を踏み外すと15m下に真っ逆さまだ
途中に崩落個所がある
仕方なく斜面を下って藪漕ぎをすることにした

 召国集落までは直線距離で300m程度のところに斜面が崩落している箇所がある。かなりもろい地面であったために、崩落箇所の通行は困難であると判断し、斜面を直接下って藪漕ぎをすることにした。自分の身長を越える大きな植物が体を襲う。薄着で訪れるとかぶれてしまうかもしれないため、上着の持参をお勧めする。

召国集落

北側を望む
召国集落全景
穏やかな海が広がる
メシコタイ方面を望む
この山の裏側がメシコタイ集落

 どうにかして召国集落にたどり着いた。見た感じ人の気配はなく、2軒の廃墟と思われる建物が見えるのみだ。現在は漁師がたまにこの建物を利用していると文献で見たことがあるが、実際のところはどうなのだろうか。

 人里からはるか遠く、3方を山に 1方を山に囲まれ、ひっそりと佇む召国は、海の波音と鳥の鳴き声だけが響いていた。

建物のひとつにお邪魔してみる
大きく倒壊していた
昔のまま残っている部屋もあった
部屋に残っていた新聞紙

 建物のひとつにお邪魔させていただいた。大きく倒壊している部屋もあったが、わりかしそのまま残っている部屋もあった。ただ、どちらも人が住むにはとても厳しい環境で、漁師が一時的に使っているとはとても思えないようなものであった。
 部屋の中には新聞が落ちており、その中の映画案内には「7月4日に生まれて」とある。この映画は1989年にアメリカで制作された映画であるようだ。このことから、少なくとも1990年頃まではこの建物は現役であったのだろう。

召国~西上泊分岐

 ここまで崖を下ってきたが、帰るためには来た道を戻らなくてはいけない。しかし、崖をほぼ滑るように下ってきたため、行きの道は使えないだろう。どうにかして帰るために、道なき道を藪漕ぎしていくことにした。

もろく崩れやすい斜面を登るのは至難の業
転んだら谷底に真っ逆さまだ
転んでしまえば一眼レフは壊れてしまうだろう
かなりひやひやしながら反対側に渡った
途中でちょっとした森の中を通る

 召国分岐点まで戻ってきた。先ほどまでなかった礼文町の車両が止まっていたが、特に人気は感じられなかった。遊歩道の管理点検だろうか。
 行きは結構時間がかかったが、帰りはあっさりだ。ゴールが見えているので気分的に楽である。

借りた原付2台と本土から持ち込んだキックボード

 召国分岐点から西上泊分岐に戻るまでに1時間程度要した。舗装路を見たときはとても安心したものだ。
 西上泊分岐からの往復の所要時間はおおよそ4時間程度だった。召国に住んでいた人はどのような生活をしていたのだろうか。村の中心の小学校に通うにも、買い物に行くにも往復5時間程度かかるような環境で生活するのはとても過酷だったのであろう。

 北海道北方民族博物館のサイトに以下のようなページがあった。

 これによると、召国はいわゆる冬季無人集落のような形であったと思われる。

澄海岬

 西上泊分岐から浜中方面と逆に向かっていくと、澄海岬が見えてくる。名前の通り澄んだ海の色が特徴の入り江があり、これは礼文島の中で最高の透明度を誇っている。夏になると礼文特有の高山植物や花が豊富に咲き、鮮やかな景色が広がるらしい。

スコトン岬

 続いてスコトン岬。天気のいい日には樺太の西能取岬が北東方向に望めるらしいが、この日は天気が良かったのに見えなかった。残念。
 写真に見えているのは海驢島(トド島)である。海驢と書いてトドだ。最初はアシカだと思っていたが、帰ってからこのことに気が付いた。

交通困難地について

 この機会に、このほかの取り分けめぼしい交通困難地を簡単に説明する。
①東京都小笠原村 硫黄島・南鳥島
 これらは小笠原諸島のひとつで、どちらも民間人の立入りが制限されている。これらの島を訪れるには、海上保安庁や気象庁、自衛隊等の職員になる必要がある。

②岐阜県揖斐郡揖斐川町門入
 岐阜県揖斐郡揖斐川町は数年前にいくつかの自治体と合併した。門入はかつて徳山村という自治体であった。村内のほとんどがダムの建設によって水没したために村自体が消滅したが、実は門入のみ水没していないのだ。
 この門入に陸路でアクセスするためには4時間程度山道を歩かなくてはならない。ここに出入りしているのは主に元住民であるようで、彼らは徳山ダムの管理団体が運行している船で集落に向かうようだ。したがって、一般人は簡単に訪れることはできないのだ。

③香川県小豆郡土庄町甲字余島
 余島と聞くと、瀬戸大橋の中間にある島を思い浮かべる人もいるだろうが、ここでの余島はそこではない。ここは、ある個人が所有する島で、神戸YMCAという団体がキャンプ場として利用しているようである。
 この島の最大の特徴は、干潮時でのみ現れる道でしか渡ることができないというものである。島を結ぶ渡船等は特にないため、交通困難地に指定されているのだろう。
 ほかの交通困難地と比べて活気が感じられる場所であるが、郵便のやり取りはどうしているのかとても気になるところである。

おわり

 今回召国を訪れたが、舗装路から往復4時間もかかってしまうのであれば、日本郵便が音を上げてしまうのも納得だ。これ以外の交通困難地にも訪れてみたい。
 
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