「日本語コミュニケーション」授業実践
私は、今年の4月から勤務先の日本語学校で、「日本語コミュニケーション」という科目を、それぞれ違うレベルの3つのクラスで担当しています。この科目を担当するのは、今期で3周目でして、その間、どうやって授業を進めたらよいのか葛藤し続けてきたのですが、これまでにしてきた授業の中から私が理解したことをここに記録として書き留めておくことにします。
言語観・学習観の違いで混乱した日々
私は2校の日本語学校での勤務経験があり、最初に勤務していた学校は、メイン教材が『みんなの日本語』で、文型積み上げ方式で「日本語を教える」学校でした。
一方、現在、勤務している学校は、「異文化間コミュニケーション」を教育の目標にしていますので、「日本語習得」そのものを学習の目的としているわけではありません。教室には「わかちあい」「日本語で世界の友をつくる」という標語などが掲げられており、また、学習者がサポートを得ながら、自分の選択によって、自律した学びを進めていくことができるようになること(学習者オートノミー)も教育の大事な目的となっています。評価基準はCEFRです。
私は、教育観と学習観が全く違う学校で勤務し、大いに混乱していました。
混乱の原因
混乱の原因はいろいろあると思うのですが、その一つには、言語形式のみに焦点を当てていたフォーカス・オン・フォームズに陥るまいとするあまり、意味やタスク達成のみに焦点をあてたフォーカス・オン・ミーニングの側に行き過ぎて、学習者を「分からない・できない」という気持ちにさせてしまっていたことだと反省します。
つまり、言語形式と意味・機能を結びつける過程で習得が起きると考える、フォーカス・オン・フォームの意味が私にはよく分からなかったのです。
また、「日本語教育参照枠の報告」20ページには、次のような図がありますが、
下の方にコミュニケーション言語能力(能力Can-do)というのがあります。
この「能力Can-do」に当たるものが、私たち日本語教師が一般に「日本語を教える」ときに扱うことになるであろう「語彙、文法、文字認識、記述、会話のための練習・・・」になるのだと思うのですが、これらは「コミュニケーション言語活動(活動Can-do)」を行うときの下支えとなっており、この両者は相互に補い合う形になっています。
頭では理解できたつもりにはなれますが、「じゃ、実際の教室活動の中でどうすることなの?」というのが、よく分かりませんでした。
「日本語コミュニケーション」という教育実践の蓄積
私の勤務先校は長年、CEFR基準で評価を行っており、実践の蓄積があります。
そして、「日本語コミュニケーション」の授業は、教育を実践してこられた先生方の声を採用しながら、その都度、必要に応じて改定を重ねて作られた、手作り感満載のオリジナルテキストが使われています。
専任の先生方は、毎回、毎回、タームが始まる前に、学習者の様子や、教育実践する私たち講師の声を参考にして、「今を生きている学習者」にとって、適切な教材となっているのか、テキスト内容を見直し、改定し、印刷、製本化してくださり、私たちは、その出来立てほやほやのテキストをもって、授業に臨みます。
つまり、この科目は、「どこかに存在している手引き書を参考にしながら、テキストの内容を学ぶために授業をしたらいい」というものではないので、
学校の教育理念をしっかり理解した上で、それを実践に落とし込んでいかなくてはならないわけなのです。
今日の学習目標(Can-do)をしっかり押さえた上で、メインはあくまで「学習者が何を学んでいるのか」にフォーカスしないと、授業は決してうまくいかない、それが如実に表れてくる科目なんだと感じています。
そして、この科目は、教師の言語観・教育観がものすごく反映されてくる科目のように思うので、教師に対しても多くの「問い」「疑問」が生じてくるように感じます。
その結果、私は自分の未熟さゆえ、葛藤し続け、学習者さんを「分からない」「もうやだ」という気持ちにさせ続けていることにひどく罪悪感を抱いていたわけなのですが、
ついに、今週、「日本語コミュニケーション」の授業実践で、
「この授業では『自分はできる!』って気になれる」
「これが、私が必要としていた授業だ。もっとこの授業があればいいのに。」
と複数の学習者さん達から言ってもらえて、また、その時の授業準備で「テキストの後ろにある意図が見えるようになってきたかもしれない」という感覚があったので、テキストを公開することはできませんが、差し障りのない範囲で、ここに言語化を試みてみたいと思います。
(前置きがこんなに長くなって、びっくりです。)
科目概要:なにを目指して教育を実践するのか
私たち講師には、科目概要という大きな学習目的を踏まえて、教育することが求められています。
この学習目的は、授業の最初の日に、学習者に提示し、「共にこの目的に向って、学びを進めていきましょう」という協働意識をクラスの中に形成しなくてはなりません。
たとえば、B1.1クラス(初中級)の日本語コミュニケーションの授業の目的は、以下のようなものです。
学習者さん達は、「社会的存在social agent」として生活しています。
『日本語教育参照枠』の中には、次のように書かれてあります。
学習者によって、日本や日本語との関わり方は様々でしょうが、
留学生は、日本で生活しているという共通項があり、同じ学校、教室空間にいるという文脈の中にいます。
「生活の中で、どんな時に日本語を使う?」
「なんのために日本語を学びたい?」
「どんな日本語を学びたい?」
「日本人の友だちはいる?日本語で話しているの?」
「バイト先では、よく日本語を使うの?困ることはある?」
などと質問をして、学習者たちの「日本語コミュニケーション」に関する必要や意識を共有してもらいます。
今回、履修している学習者たちから多く聞き取れた声は、
「会話で使える生きた日本語を学びたい」
「関西弁を知りたい。」
でした。
特に、私の心に迫ってきたのは、学習意欲が低下気味の学習者さんから個人的に聞き取ったこんな声でした。
Sさん:「私の日本での楽しみは、お酒とたばこだけ。行くところもないし、毎日がつまらない。
→どんなことがしたいの?
私は子どもたちに英語を教える仕事をしたい。子どもを教えるのは素晴らしい仕事だと思うから。」
Tさん:「バイト先で、日本語で話そうとするのだけど、1回で聞き取れなかったら、「あ、この人は日本語分からないんだ」と思われて、もうあんまり話しかけてもらえなくなる。」
そして、そのような思いをクラス内で聞き取り、共有した後、この科目の目的を提示します。
(他のインプット系の科目では、そのために何を頑張るのか自分の学習についてメタ認知できるように、学習目標をたててもらい、クラスで共有を試みたりもします。)
学習目標「Can-do」を提示し、ここに向かって協働で目指す
たとえば、B1.1クラス(初中級)のこないだの日本語コミュニケーションの学習目標は、「日本で友達をつくる」でした。
そして、場面設定をします。
「日本語コミュニケーション」の授業は、この場面設定が肝だと思っていて、真正性が高いものにしないと必ず失敗します。
タームの最初の授業は、新入生もいますし、学習者さんたちは同じ教室内に居ながらも、お互いをまだあまり知らないという状況です。
特に今タームのこのクラスのメンバーは、学習に困難を抱えている人が集まっており、所謂、「日本での新しい生活、嬉しい、楽しい!」というハネムーン期を過ぎ、「授業についていけない。おもしろくない、難しい」といった、モチベーションが下がっている学生も見受けられます。
この状況がまさに学習者の「イマ-ココ」の文脈であり、学習のための素材にできることに気がつきました。
まず、スモールステップでみんなに分かりやすいように目標を提示します。
そして、実際に誰かを当てて、まず、やってもらいます。
(「まず、やってみよう」というのは学校の標語です。)
そして、やってみてくれた人たちの会話を題材に
「最初に何をテーマに話していた?挨拶、名前、出身地、滞日歴・・・」などと、質問をクラス全体に投げかけ、いっしょに考えていきます。
テキストには、学習のねらい(Can-do)やタスク、このタスクを実行するためのストラテジー、その状況で使えそうな翻訳つきのお役立ち表現、語彙などがズラリと書かれてあり、学習者は自分が言いたいことを表現するために、それを参照するという使い方をします。
複言語環境での学び
学習者の方から質問も出てきます。
「○○ということを言うためには、日本語で何と言ったらいいですか?」
学習者の日本語能力は様々なので、私の問いに答えたり、質問したりするための日本語能力が足りないこともあります。特に今タームのこのクラスは、学習者さんからの質問は全部、英語になることが多いです。しかし、私の英語能力はそこまで高くありませんので、当然、分からないことが多々、発生します。
それこそ、「私」という人が、「日本語コミュニケーション」のための良い素材になれるチャンスで、「英語があまり上手ではない日本語母語話者と意思疎通を試みる」というタスクを実行せねばならなくなります。
英語が分かるクラスメイトたちは、できる日本語を駆使して、そのクラスメイトの発言意図を私に伝えようとしてくれます。英語が分からない学習者には、その人が分かる言語を話せる人の助けを借ります
逆も然りです。
私の日本語の発言意図が分からない時、他のクラスメイトに、その人が分かる言語で説明してもらいます。そして、その人の中である程度、背景知識(スキーマ)が活性化した時に、もう一度、私がその人に向って、日本語で説明します。その時に「気づき」が生まれて、彼の理解と日本語の音が一致してくれること、そこで、何かを習得してくれることを期待しています。
「助けを借りて、タスクを実行できる」というのは、様々なストラテジーを駆使することであり、自律した学習を進めていく上で重要なスキルです。これを教室内で体験していくことは重要な教育実践だと意識するようになりました。
フォーカス・オン・フォームで行う授業実践
そして、「Step1:声をかける」のための表現や、ストラテジーを確認した後、別の場面設定を提示して、ペアで練習してもらい、誰かに前で発表してもらいます。
前で発表してくれた学生には、まず、クラスで拍手喝さいして、そのようにチャレンジしたことについて絶賛した後、良かった点を褒めたり、待遇表現を調整するために日本語形式にフォーカスを当てたり、自然なやりとりになっているか「問い」を投げかけ、クラスで検証したりします。
そして、次に「Step2: 会話のイニシアティブをとる」というストラテジーを学ぶための場面設定を提示します。例えば、私が先週したのは、こんな場面設定です。
実際に留学生の生活空間の中に存在しており、全体で共有しやすく、真正性の高い場面設定をすると、スキーマが活性化されやすく、いろいろな話題も出てきます。
そして、まず、誰かにやってもらいます。
そして、
「じゃあ、もっと長く話すためには何を話す?」
「「そうですか」ブチッ/ それで、会話、終わり?笑 この授業の目的は何だった?「日本で友達を作る」だよ?」
などと言って、次のステップを提示する前ぶりの「問い」を投げ、動機づけと答えを学習者から引き出していきます。難しいときは、こちらから、バンっと提示するときもあります。
Step2では、「会話において、自分がイニシアティブをとるためには、自分にとって得意な話題に引き寄せるのがよい。」
という事を扱っているわけですが、
自分が得意な話題がなんであるのか考え、書き出してもらったり、
会話のターンをとったり、相手から話を引き出すための表現を考え、練習したり、
「相づち」について取り上げ、共感や感情を示す生き生きとした自然な会話になるように
→なにかショッキングなことを言ってもらう
→それに反応する練習
などをしたりします。
基本的には「問い」を通して、学習者から表現を引き出し、それにフィードバックを返していきますが、この時のために、授業準備の段階で意図的に言語形式にフォーカスを当てた提示も仕込んでおきます。
文型積み上げの世界では、その文型を学習するために言語形式を扱い、場面は文型のための後づけでした。
けれども、タスクベースの教授法(TBLT)では、そのタスクを実行するために必要な言語形式を学習します。
タスクが先行していると、学習者のスキーマは大いに活性化されている状態なので、「じゃあ、こういう風に言いたいときは何と言うのだろう?」「こういう状況の時は、これを言えばいいのか」と自分から表現を求めて質問してくれたり、提示される新しい語彙をどんどん吸収してくれます。
これがフォーカス・オン・フォームの世界なのだと、最近、やっと実感がもてるようになってきました。これが成功すると、「今日、何かができるようになった!」という学習者の成功体験に繋がっていくような気がします。
願いを込めて、真正性の高い場面を設定する
そのようにして、この日の授業は、
Step3:会話を長く続ける⇒Step4:会話を終える ⇒誘う・誘われる
という風に展開させていったわけですが、使用した場面設定は以下のようなものです。
場面設定ごとにペアも入れ替えて、クラスが終わるころには、同じクラスメイトの人たちかお互いのことをちょっと知ることができ、打ち解けた雰囲気になればいいなという願いを込めて、場面を設定しています。
そして、教室で練習したあと、社会に出て実践してもらう場に繋げることを、授業計画の段階で意識します。
例えば、学校では「スポーツ大会」ですとか、いろいろな行事ごとがありますので、「日本語で世界の友をつくる」という実践の場として機能してくれることを期待し、授業内で励ましていくつもりです。
以上、「日本語コミュニケーション」の科目を担当させて頂いて半年が経つ私の授業実践記録でした。
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