異文化間摩擦~「おせち」の巻
先日、こちらのNOTE記事に、異文化間コミュニケーションを教育の理念とする勤務校の入学式では、「わかちあい」が理念として掲げられ、そのためには、「まず、やってみること」そして、「自分を知ること」が学習の方針として提示されるということを書きました。
わかちあい~日本語学校入学式|ユン有子 |Yuko Yoon (note.com)
入学式で語られていたことを私の言葉で表現すると、
私の勤務校では、それが理念として入学式で語られた後、最初の1日目である「コースオリエンテーション」でも繰り返し語られます。
というか、今度は、私を含む、その日の担当講師がそれぞれのクラスでもう一度、学生たちとそれについて語り合う時間を持ちます。(私は、あまり上手にできませんでした)
これは非常に抽象度の高い話なので、私は、実際に自身が経験してきた異文化間コミュニケーションの事例を想起して、「たぶん、こういうことじゃないかな」と理解を試みていくのですが、ふと、こないだのお正月に我が家であったエピソードを思いついたので、事例としてここに書いてみることにしました。
我が家(日韓国際結婚)の事例
韓国人である夫と結婚をして、もう20年になりますが、異文化間摩擦のパターンとして多かったのは、嫁ぎ先である韓国の文化に私が適応できていない部分で責めを負った時に、「私のことを理解してくれていない」と私が不満を訴えることで喧嘩になることです。
そのような時は、私側のスキルとして、「私の文化」を相手に伝えるために、韓国語でそれを言語化する能力が求められました。
また、心の態度にも変革が必要でした。
「相手は私に悪意を持っているわけではない」「相手が求めているのは、私との平和な関係だ」という相手への信頼と私の感情ケアを相手に求めない」という精神的自立心が養われたように思います。
さて、今回の異文化間摩擦の舞台は、私の実家。
私の文化圏に韓国の家族がやってくるというパターンで起こりました。
異文化間摩擦:事例1「おせち」
年末年始は、韓国から義両親と夫がくることになっていた。
そこで、私は、夫に数か月前に、「みんなが来るから「おせち」を注文する予定だけど、この「おせち」でいい?」と相談し、夫から「いいんじゃない?」という応答をもらい、注文していた。
一方、夫からは、「義父さんが日本でゴルフをしたがっているから、ゴルフに行ってくるけど、君も来る?その間、義母さんは家にいて、本でも読みながらゆっくりするらしい。」と言われ、私は「いいんじゃない?私は寒いから行かない。」と答えた。
その後、あまりその件については意思疎通をせぬまま12月30日になり、その日、夫がゴルフを予約したのは1月1日の元旦だということが分かった。
ゴルフに行く人達は、早朝、出発する。
1月1日の元旦の朝に「おせち」を囲って、新年を祝いながら、家族団らんするという発想がどうやらなかったらしい夫と義理の両親にとって、いつ「おせち」を食べようが、別に大きな問題ではないというわけだ。
ところが、私の方はそうではない。私が思い描き、期待していた「お正月」の計画は反故となったばかりか、「おせち」をいつ食べようかという話し合いが家族間で始まるやいなや、私は、私が心を込めて準備した(注文した)「おせち」が「食べなくてはならないもの」に格下げされているように感じ、文句を言った。
そして、1月1日は、私の弟たち家族もうちに勢ぞろいすることになっていたので、甥っ子姪っ子合わせて、総勢11名がうちに来るという事実がジワジワ家族間で認識され始め、
義母さんの方でも家でゆっくり本を読んでゴルフの帰りを待つつもりだったのが、どうもそんな雰囲気ではないようなので、家の外で時間を過ごしたいが、近所のカフェは元旦で閉まっているだろうし、1人で移動するのは難しそうだし、どうしたらいいかという話になってしまった。
以上が、「日本のお正月」に関する文化的背景の中で、無意識レベルで抱いていた私の価値観(文化)に私が無自覚であったがゆえに、同じ文化を共有していない相手との意思疎通を怠り、摩擦が起こってしまったという事例です。
私は、私の中にある「お正月」の「常識・文化の枠」を意識して、相手とは違うのだということを踏まえた上で、柔軟に対応すべきだったのです。(「エポケー・判断保留」というのだそうです。)
おそらく、この20年間の結婚生活で夫は「外国人である私」に対して、常にこのような対応を迫られてきたものと考えられます。私は、「外国人である夫」と自分の文化圏で暮らすという経験が乏しいので、この点においては、私側の成長がさらに求められるところなんだろうと思います。
追記:
最後に、この時に注文した「おせち」は結局、大晦日の晩に食べることになりましたが、ものすごく美味しかったので、家族大絶賛、料理の力のおかげで家族とてもいい雰囲気で食卓を囲むことができたことを申し添えておきます。
Nシェフ、ありがとうございました。