今湧き上がっている気持ち
こんばんは。今年も残り24時間を切りましたね。
あなたはどんな年末を過ごしているのでしょうか?
わたしは、理想の暮らしにむけて、家を整えています。模様替えをして、断捨離して、必要なものを調達して(炊飯器って便利ですね💫)。
今日も用事で出かけたのですが、早く家に帰りたくて、しょうがなかったです。
そして、今日やっと仕事が納まりました。ふあぁ〜!明日から全力で休もうと思います。
今年も大変お世話になりました。
で、今日も祖母のお話を書かせていただきます。
あと2話ほどお付き合いいただけると嬉しいです。
お通夜の翌日ですが、祖母とのお別れの会を行いました。
お別れの会…葬儀と違うところは、お焼香とかお坊さんがお経を読むこととかをしないくらいですかね。
会場は葬儀屋さんが運営する近くのホール(と言っても、庭があって玄関をガラガラって開けて入る一軒家の建物)で行いまして、祖母の弟・孫2人・町内会長さん・喪主である叔母からの言葉を贈った後に、参列者一人一人が祖母に花をたむけることに。
前日、叔母と母は司会者の方と綿密な打ち合わせを行い、孫であるわたしと妹は、祖母に手紙を書いて、明日の挨拶に備えました。
そしてお別れ会の当日の朝。
祖母を霊柩車に乗せる時に、奇跡が起きました。
祖母をみんなで運ぼうとした瞬間、誰かの携帯の着信音が急に鳴り出したのです。
その音楽が、なんと!
美空ひばりさんの川の流れのように(インストver)でした。
祖母が大好きだった曲ではないですか!!!
まるで、祖母を見送るBGMかのように、川の流れのようにが数秒流れ、祖母は家を出て行きました。
ちょっと長いから、わたしと妹がホールまでの道に迷って彷徨ったあげく、偶然会場についたことは端折ります。
お別れの会では、祖母の人生について、祖母の弟が語ってくれました。挨拶の〆に趣味であるハーモニカで、祖母と一緒に歌った「ふるさと」「みかんの花咲く丘」「赤とんぼ」を演奏し、参列者みんなで歌いました。
そして、わたしと妹による挨拶。
前日手紙を書いたのですが、参列者の方が「(食堂をやっていた)ばあばの作った焼きそばが大好きだっけ」とか「ばあばのご飯で自分は育った」とか言ってくれたり、祖母の弟の話を聞いて色々思い出したりして、手紙よりも別のことが言いたくなって、その場で言いたいことを言いました。
こういう、大勢の場で、今思っていることを言葉にすることって苦手意識があったのですが、おじさんの話や参列者の話を聞いて嬉しかったことや、祖母はわたしの癒しだったこと、祖母への感謝、祖母への愛を伝えました。途中で祖母との話を思い出して、笑いながら泣きながら話しました笑。
確かに、祖母との分かれは悲しいし、寂しいです。でも楽しかったこともいっぱいあったものですから。そんな風に自由に言わせてくれて、ありがとう!
妹はしっとりと祖母への感謝の気持ちと愛を伝えていました。姉妹のバランス!
私たちの挨拶の後、町内会長さんの言葉だったのですが、長年オペラをやっているそうで、言葉の代わりに、「アヴェマリア」を独唱してくれました。
そして、最後は叔母による挨拶。叔母は、祖母の最近の様子と、介護をずっとしてきたこと、それができたのは夫や妹のおかげだと言っていました。叔母にしかわからない大変さもあったでしょう。いつも笑い話にして伝えてくれる叔母。叔母だからできたことだと思います。ありがとう!
涙や感謝の言葉にプラスして、ハーモニカあり、泣き笑いあり、歌ありってかなりアットホームなお別れの会だったなと思いますし、参列者の方は「わたしもこうやって見送ってほしい」と言ってくれて嬉しかったです。
火葬場に行って、祖母が煙となって空に還っていくのを外で眺めていると、近くでは親戚の子どもたちが草っ原を駆け回っていたり、それを見ながら久しぶりに会った親戚が仕事や人生の話を語り出したり、屋内の待合室に戻ると、子どもたちが腕相撲大会をやっていて盛り上がって大人たちも参加したり。
色んな世代の色んな人たちが自由に楽しんでいる感じがして、すごく懐かしい気持ちになりました。
きっと祖母はこういう場を食堂で作ってきたんじゃないかと思いました。
祖母とのお別れのため、本当にたくさんの方が来てくれて、祖母はたくさんの人に愛されているなと思いましたし、これまでたくさんの人を愛して愛された人生だったんだなと思いました。