第3章 始動 ⑧「一人で集めるパズルのピース」
年が明けて講話原稿の作成に着手したのだが、これがなかなか難しい。なぜなら自分ではなく他人の人生を語らせていただく上に、その主役であるご本人が亡くなっているからだ。
仮に原稿を書いている途中で、聞き取りでは十分に語られなかった、あるいはもっと深くお聞きしたいことがあることに気づいたとする。被爆者がご存命であるならばすぐにご回答をいただけるだろう。しかし「二度と」聞けないとしたら…?
自分で勝手に推測したことを原稿に入れるわけにいかないから、いわば迷宮入りのような状態になるのだ。
もしこれが、被爆者と何年、何十年のお付き合いがあって、数えられないくらい聞き取りをして、もうわからないことはない、というところまで到達していたら良いのかもしれない。
それが私は2回しか聞き取りをしていない。お話した時間は合計5時間程度しかなかった。
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だから私は勲さんから直接お聞きした話や被爆体験の手記、新聞に掲載された記事、ご家族や勲さんの知人からの聞き取りなど、考えられる手段を全て使って原稿を作る必要があった。
それはまるで、完成するめどの立たないパズルのピースをひとつひとつ集めていくような道のりであった。
その他、どのような言葉を用いたら効果的に伝わるのか、自分自身の思いはどこまで入れてよいのかといったことから、客観的事実と被爆体験との整合性に至るまで、悩みどころはたくさんあった。
「整合性」とは何か。この継承事業は長崎市の事業、つまり公的な性質を持つものである以上「歴史的・客観的な正しさ」を重視する必要があるということだ。
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勲さんの体験に限って言えば、例えばこういうことである。勲さんは第1回目の聞き取り時、ご自身が受けた被爆の影響について次のように語っておられた。