第2章 道程 ③「伏線回収」
トントン拍子に新しい仕事が決まり、帰宅してすぐ母に事の顛末を話すと、満面の笑顔で拍手をしながら喜んでくれた。母はいつも私のことを温かく見守りながらも、内心では心配していたのだ。
夜、家族みんなでご飯を食べ始めてから父にも報告をした。すると、感慨深げな表情で「人生、塞翁が馬なんや」と言ってくれた。実は父も顔や態度には決して出さなかったが、私のことをひそかに心配していた。
「なんというか…すごい展開やな。頑張れ!」と励まされた。すっかり上機嫌になった父は焼酎を飲む手が止まらなかった。
私はRECNAでの仕事が決まり、ようやく社会人としての一歩を踏み出せる嬉しさと共に、幸せな気分で眠りについた。
ところで翌朝目が覚めると、疾患で荒れた顔の皮膚が正常に戻っているのに気づいた。それほど内定は精神を安定させるものだった。
数日後、2回目の面接のためRECNAへ行った。
「おお、久しぶり!元気?」やわらかい笑顔で真っ先に声をかけてくださったのが、当時RECNAのセンター長であった鈴木達治郎先生だった。お会いするのは大学を卒業して以来だ。
応接室に入り、最初の面接をしてくださった部長・課長と共に話が始まる。鈴木先生は開口一番「いつから来れる?」とおっしゃった。私は「12月1日からと伺いました(何なら今からでも大丈夫ですよ)」と答えた。その他、雇用契約、給料といった条件面の説明をはじめ、科研費の仕事について説明を受けた。
よくよく話を聞くと、2015年夏(面接の4か月前)にRECNAが日本学術振興会に申請した科研費の研究プロジェクトが採択され、そのリーダーが鈴木先生だということだった。その他にもRECNA教員と、東京大学や一橋大学、日本大学、広島市立大学といった大学から研究者を10名ほど集め、共同で研究をするということを伺った。
研究プロジェクト名は『核廃絶に向けての促進・阻害要因の分析と北東アジアの安全保障』。プロジェクト終了が3年後の2018年3月末なので、それまでの期間、科研費の収支管理や共同研究者との連絡調整業務といった、科研費に関わる全ての実務を担当してほしいとのことだった。つまり、鈴木先生は「大学の先生」から「直属の上司」になるのだ。それが持つ重みをひしひしと感じた。
面接は20分程度で終わり、私を採用することで話はまとまったが、もしそれが取消になったらという不安が急に襲ってきた。応接室を出て、研究室に戻る鈴木先生に念のため聞いてみた。
「先生、本当に私で良いのでしょうか?」
「もちろん!僕がいいって言ったんだから」。あの笑顔で返答してくださった。この時の嬉しさやお言葉は一生忘れられない。
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