見出し画像

第2章 道程 ①「やりたかったことと引き換えに」

 やはり、ユースの活動と公務員試験勉強との両立は一筋縄ではいかなかった。

 このご時世だからか、ただでさえ公務員志望者は多いのだ。しかも勉強する科目が多く、最初の筆記試験に合格することも決して簡単とは言えない。特に私は、勉強に一番集中しなければならない時期に英語の文書とも格闘していた。公務員試験を受ける仲間からは不思議がられた。
 さらに試験の皮切りとなる国家公務員(キャリア官僚)試験が始まる4月下旬には、ちょうどニューヨークへ行っていたのだ。ライバル達にどんどん差をつけられるのも当然だ。

2014年 NPT再検討会議準備委員会 イベントカレンダー
会議の時間帯、議題、主催者などが記されている(筆者私物)

 言い訳がましいが、活動期間中は勉強をする暇すらなかった。ユースの活動で得る学びや発見、そこから湧き上がる思いや考えで頭がいっぱいになるのである。
 NPT会議の傍聴、外交官や大使・NGOメンバーとの意見交換、ドイツの大学生とのディスカッションに日本人学校での平和教育…。1日中いろいろな活動をし、足りない頭を必死にフル回転させながら学び、日々のブログを書いているとあっという間に1日が終わってしまう。その証拠に10日間の滞在中で、1日あたりの睡眠時間はたった2時間だった。

国連の入館証。名前の下には直筆のサインが印刷される(筆者私物)
「2014年5月9日(まで開催) NPT再検討会議 第3回準備委員会」と下部に記載

 大学を卒業して半年ほど経った頃、長崎大学附属図書館の職員からメールが届いた。大学4年生の冬に図書館でアルバイトをしていた時に大変お世話になった方だ。
 在学中、そして翌年の挑戦でまたも公務員試験に落ちた私を心配してくれており「図書館で夕方から夜までアルバイトのできる人を募集しています。カウンターで試験の勉強をしながら働いていいよ」と連絡をくださった。

 この年は勉強の成果が出せて筆記試験は突破したが、最終面接で不合格となった。唯一残っていた持ち駒を失った私は、自分の不甲斐なさを感じざるを得なかった。
 合格発表の前日、なぜか嫌な予感がした。バンジージャンプを飛ぶ夢を見たのだが、落下している最中に命綱が切れる夢を見たのだ。私は綱が切れた瞬間に目が覚めた。
 もしかしたら落ちたのでは・・・その予感は見事に的中した。私の受験番号がスポンと飛ばされた合格者番号の一覧を見ながら泣きじゃくった。さすがの両親も私に掛ける言葉がなかったのだろう、「あんまり落ち込むな」と言うのが精一杯な様子だった。
 
 この日を境に、第一志望の職場で生き生きと働いている大学の同級生達を見ながら卑屈になり、精神的に思い詰める日々を過ごした。生活はどんどん自堕落になっていき、毎日昼まで寝ていた。
 そのおかげかはわからないが、身長が7ミリ伸びていた。しかし就職の再失敗という強いストレスは、顔の皮膚疾患という形で表れてしまった。血の気が消えたカサカサ肌に悩まされ、外を出歩くことも少なくなった。
 当時交際していた大学の同級生と会っても全く気晴らしにならなかった。彼も第一志望の職場で楽しそうに働いていたし、つい自らと比較してしまい、ふとした瞬間に自分が置かれている現実に引き戻されるのだ。

 図書館アルバイトの話が舞い込んだのはそんな時だった。いつまでも無職でいるわけにはいかない。たとえアルバイトでも稼がねば。そう思い、図書館の担当者宛に履歴書を送った。

アルバイトでお世話になった図書館職員の方々と。
左端の男性が私に連絡をくださった(筆者私物)

いいなと思ったら応援しよう!