第5章 長崎 ④「劣等被爆都市・長崎」
私はこのような広島と長崎の差に気づき、疑問を抱いているときに、それをピタリと言い当てている言葉を見つけた。それが「劣等被爆都市長崎」だ。
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社会学博士の高橋眞司氏は著書の中で「世界の注目と脚光を浴びるのはいつも広島であって、長崎と長崎の被爆者でなかった。それだけでなく、長崎はながく忘却と無視と誤解のうちに放置」されてきたといって過言でないと表現した。また、そうした事態を「劣等被爆都市長崎」と呼んできた。
私が抱いてきたモヤモヤが納得に変わった。
本来、広島も長崎も同じ被爆地であって、そこに上下や優劣など存在しない。だが、結果的にそのような差が生まれてしまったということを考えると悲しく、歯がゆい気持ちになる。
これは具体的な「誰か」のせいではない。ということは、一人一人の「誰も」が責任を持って、この現状を変えていくべきではないか。
長崎の平和行政に携わる公務員も、教員も、研究者も、活動家も、大人も子供も、みんながもっと各々の立場でできることがあるはずだ。
これは「広島に追いつけ、追い越せ」ということではない。広島が世界で最初の被爆地であるならば、長崎は世界で最後の被爆地にならねばならない。
「二番目の被爆地」という立ち位置に甘んじる時代は、とうの昔に過ぎ去ったということだ。
ただ、個人的には長崎を「最後の被爆地」と呼ぶのはもはや手垢がついた呼び方だと感じている。誰もがそう言うからだ。
確かに戦争被爆地は広島・長崎だ。しかし核実験が行われた土地や原発事故が起きた場所も被爆地と言えるのではないか。そこを無視して「最後の被爆地に」とは私は言いたくない。
そして一番の理由は、多くの人が合言葉のように言っている手垢にまみれた言葉を使いたくない。
―安易に使う言葉ほど、安っぽいものはないと思う。自分なりに勉強して、考えて、やっと見つけた言葉が一番本質を表しているはずだから。
高橋眞司『続・長崎にあって哲学する:原爆死から平和責任へ』北樹出版、2004年
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