第3章 始動 ⑪「ついに講話デビュー!」
ひとまず大きな山は越えた。その後も原稿の執筆、推敲を重ねながら市の確認を仰ぎ、指摘された箇所は修正をするという形を7回ほど繰り返した。
原稿が完成したのは翌年の2018年秋、講話の披露は10月14日に決まった。勲さんのご逝去からちょうど1年経っていた。予定ではその年の春か夏には講話デビューする予定だったのだが、予想以上にチェックと推敲に時間がかかってしまった。
この日までご家族の皆様を長らくお待たせしてしまった分、初講話は必ず成功させたいと思った。
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2018年10月14日(日)。
この日は講話の会場となる原爆資料館に勲さんのご家族が駆けつけてくださった。勲さんの奥様、お子様4名と義理の息子さん1名の計6名だった。
ご家族の前での講話はとても緊張した。練習に練習を重ねたのでミスはしなかったが、ご家族を含めた30名ほどの聴衆はどういう反応をするのか、終始気になった。
30分の講話が終わった。とにかく、話すことで精いっぱいだったと思う。
初講話の際には基本的に被継承者である被爆者が同席し、講話を聴く。その後、被爆者はその証言者を、自身の継承者として認められるかどうかをジャッジすることになっている。
私の場合は勲さんのご家族からご判断を仰ぐことになり、今後も講話をすることをご快諾くださった。心から安堵した。
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また、講話終了後、聴衆としてお越しになった証言者の先輩お2人から声をかけていただいた。
1人は講話歴5年のベテランかつ証言者登録第1号の女性。もう1人は同じく講話のご経験が長く、長崎県内外で広く講話をしている男性だ。
お2人からは、とても良い評価をしていただいた。女性からは「声もはっきりとして聞き取りやすく、間の取り方も良く、構成も素晴らしかったです」。男性からは「即戦力です」というコメントをいただけた。
自信になったし、嬉しかった。「もっともっと頑張ろう」と思えた。
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