第3章 始動 ①「まさか私が…継承活動を?」
―さて、私が継承活動をするようになった経緯はこうだ。
RECNAのスタッフだった2017年6月、私は桐谷先生をNHKのローカルニュースで拝見した。その中で桐谷先生が大学生に対して講義をする場面があり、このように語っていた。
「私たち(若者)は被爆体験をしていないからといって、継承を放棄していいのか?私は、それは違うと思う」。その一言で、自分も継承活動をやってみようと決心した。
実はそれまでずっと「被爆体験の継承活動だけはやらない」と決めていた。なぜなら、被爆体験は被爆者ご本人が語るからこそ意味があり、その重みが伝わるのであって、体験していない人がいくら努力して受け継いでも、説得力に欠けるため無理だと考えていたからだ。
だから、正直なところ継承活動そのものや、そういう活動をやっている方々を冷めた目で見ていた。
それが、テレビを通した桐谷先生の一言で180度変わったのだ。私は桐谷先生を尊敬していたし、何よりも研究者として第一線で活躍なされている先生のお言葉には圧倒的な説得力があった。だから触発されたのだと思う。
私は一度心に火が点いたら行動が素早い。長崎でも継承活動をやっていることを知り、翌日、長崎市の被爆継承課(当時)が行っている「語り継ぐ被爆体験(家族・交流証言)推進事業」に応募した。翌月には、体験を託したい被爆者と、それを受け継ぎたい人たちが集まる交流会が開催されるということを知った。私はそれに早速参加を申し込んだ。
2017年7月9日(日)、長崎原爆資料館で交流会が開催された。その場にいらっしゃった被爆者は6名、受け継ぎたい人たちは20名程度だった。大きなテーブルが6つあり、それぞれに置かれた椅子に被爆者が座っておられる。
私達は被爆者お1人につき20分、被爆体験を聴かせていただいたり質問をしたりした。それが終わったら、私達が隣のテーブルに移動するという形を6回繰り返し、被爆者全員と交流させていただいた。 その後、どなたの体験を受け継ぎたいか3名まで希望順に書いて、被爆継承課の担当者に提出する。ここで、受け継ぐ被爆者が決まるという形だ。