おわりのはじまり -おわりのはじまり①-
ヨシムラさんと過ごす日常は、とても美しい日々だった。世界がトキメキとイロドリに満ちていていた。時折、私の自信のなさからくる心の陰がそのイロドリを滲ませることはあったけれど、それすら今思えば絶妙なコントラストになっていた。
その時期、私はとても、とても幸せだったと思う。
「おわりのはじまり」が訪れるその日までは。
ヨシムラさんは飲み会の後お連れさまと一緒に我が研究会に入ることになった。週に一度水曜日に会えることが決まり、私は小躍りした。
それだけでは飽き足らず、私は何かとヨシムラさんと接点を持とうとした。図書館で落ち合ったり、漫画を貸しあったり。
そして私はよくヨシムラさんの家に行った。ヨシムラさんの父親は料理人で、ヨシムラさんも料理が上手だったから、時々およばれになった。
私はヨシムラさんの知的好奇心の旺盛なところがとても好きだった。私とヨシムラさんの大いなる共通点だと思っていた。
学問にせよ、非学問にせよ、私達は折に触れて意見を述べ、議論を交わした。ヨシムラさんの感性は私の感性と少し違っていて、私は異なる感性に感服した。多分ヨシムラさんも同じように感じていたと思う。
私達はとても長い時間をお互いの価値観の共有に費やした。
そしてまた、ヨシムラさんは変なヒトだった。
ある時、一緒にテレビを見ていると、どこかの紛争地帯の映像が流れた。私は何も感じる事なくただそれを目に入れているだけだったのだけれど、ふとヨシムラさんの方を見ると、ヨシムラさんはワナワナと震え、目には涙を浮かべていた。
「何事か」と私は思った。
ヨシムラさんは決意の目で「私が世界を征服しなければならない」といった。ヨシムラさんはきっと本気で【世界征服】を目論んでいたのだと思う。後にも先にもこんな人は初めてで、私はそんなヨシムラさんのことがとてつもなく好きだった。
ある時、いつも通り、ヨシムラさんの家でご飯を食べているときのこと、特に狙ったわけではなかったが恋人の話になった。
「恋人はいるの?」と私が聞くと、ヨシムラさんは首を振った。私は安堵した。ヨシムラさんに恋人がいない事がわかったのはこの時だったからだ。
でも続けて「恋人を作るのが面倒だ」とも言った。ヨシムラさんは学問を心の底から愛していて、恋人はその障壁にしかならないと考えているようだった。私の胸には希望と絶望が同時に去来して、その日のヨシムラさんの特製カレーライスはほとんど味がしなかった。
私はヨシムラさんと恋人関係になることを強く望んでいた。
私にとって恋人関係というのは、お互いに「許可」しあえる関係だと思っていた。
私はとても臆病で、自分から相手に容易く触れたり、キスを仕掛けたり、そういう事ができる性格ではなかった。だから、恋人同士になるということは、そういう行為全般を私から仕掛けることのできる免罪符のようなものだと思っていた。
私はヨシムラさんに私の全てを許して欲しかった。私の綺麗なところも、素晴らしいところも、汚いところも、醜いところも、想い、行為、全てを認めてほしいと思っていた。
ヨシムラさんは私のそんな気持ちに、微塵も気付いていなかったと思う。でも私は何となくヨシムラさんには認めてもらえるような気がしていた。
会えない時間は辛かった。でも、会ったところで衝動を抑えるのに必死だった。
日に日に胸の苦しさは酷くなっていたし、ヨシムラさんが夢に出てくる回数も増えた。ため息の数だって多くなっていった。私の感情は今にもこぼれ出してしまいそうだった。
7月。
会えない日々が続いていた。
テストが終わると夏休みが始まる。たった数日会えないだけでこれほどまでに苦しいのに、夏休みの空白期間を耐えられるとは思えなかった。
焦燥に次ぐ焦燥。
いつしか私の心は取り返しのつかないほど冷静さを欠いていた。