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(全文公開)果物売りのマエストラ

オーケストラの指揮者のことを敬意を込めて「マエストロ」と呼ぶことがあるのを聞いたことがある人もいるかもしれないが、先日パリでは「ラ・マエストラ」(マエストロという言葉の女性形)という、女性の指揮者を対象にしたコンクールが初めて開かれた。

昨年日本人の沖澤のどかさんが伝統あるブザンソン国際指揮者コンクールで優勝したことが話題になったように、女性の指揮者の活躍もこの頃では目にする機会が増えてきた。それでも、実際に指揮者の世界での女性の割合はまだ5%前後だという。

社会にこの状況を訴えかけるとともに世界中の女性指揮者たちの才能を発掘し、キャリア形成を応援する、という目的で開かれたこのコンクール「ラ・マエストラ」には、4大陸13国籍、21歳から47歳までの220人が応募したという。書類審査を通過して予選に登場した12人の戦いの一部始終がインターネット上で公開されており、長丁場なのだが引き込まれてつい全部見てしまった(主催のフィルハーモニー・ドゥ・パリのページのリンクを貼ったけれど、地域によっては見られないかも知れない。YouTubeでもLa Maestraで検索すれば全部公開されているようだ)。

決勝まで進んだ3人=優勝したインドネシア人のレベッカ・トング、応募者最年少の21歳で準優勝を飾ったフランス・イギリス人のステファニー・チャイルドレス、3位のコロンビア人リナ・ゴンザレス・グラナドス(リンクの記事はフランス語だけれど、彼女たちの自信に満ちた素敵な表情だけでもご覧ください。日本語の記事が全然存在しません…)はいずれも明らかに安定した能力があり、それぞれ個性的で魅力的で将来が楽しみな人たちだが、彼女たちにも増して聴衆に強いインパクトを与えたのは、ベネズエラ人のグラス・マルカーノであろう。彼女は準決勝で敗退したにもかかわらず、オーケストラ団員(1週間にわたってコンクールに協力したオーケストラの団員、つまり彼女たちに指揮された音楽家たち)による投票で見事1位を獲得して「オーケストラ賞」を受賞した。それだけ彼女の指揮は印象的だった。グラス自身と、コンクール関係者のインタビューの5分ほどのビデオがある。彼女のリハーサル中の様子はかなり印象的なのでぜひご覧いただきたい。彼女が語るコンクールまでの道のりも、文化や教育へのアクセスという点で本マガジン的にも大変興味深いので、全体を下に訳してみた。ぜひぜひご一読を!


グラス・マルカーノ
「一週間で、いえ、一日で、私の人生は完全に変わりました。私はベネズエラのヤラクイで果物を売っていました。そして二日後、私はここパリの、フィルハーモニー・ドゥ・パリで、パリ・モーツァルト・オーケストラを指揮していたのです。」

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「グラス・マルカーノ、クラシック音楽[の旧弊]をぶちこわすベネズエラ人女性指揮者。第一回女性指揮者コンクール「ラ・マエストラ」において、審査員と聴衆はグラス・マルカーノの演奏にぶったまげた。」

エマニュエル・オンドレ(フィルハーモニー・ドゥ・パリ コンサートディレクター)

「『ラ・マエストラ』は女性指揮者を対象にしたコンクールです。世界の女性指揮者を発掘し支援する動きを促進するために始まったものです。」

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「ラ・マエストラ」の原点、「不平等」という現状認識 世界の指揮者のたった4.3%が女性」

クレール・ジヴォー(指揮者、「ラ・マエストラ」コンクール共同ディレクター)
「我々は音楽の世界における女性の存在[増加]を加速させたかったのです」

グラス・マルカーノ
「『女性指揮者対象のコンクール』とあるのを見たとき、『ワォ』と思いました。女性だけに向けられたコンクールは史上初です。しかし問題がありました。コンクールの申し込み料、150ユーロです。私はそんな額は持っていませんでした。私たちの国では、現在の最低賃金は[月]2.5ドルです。ベネズエラでは、私の生活は、法律の勉強と、オーケストラの指揮と、それに家族が経営している八百屋での仕事から成り立っています。お客さんがいないときは、指揮の練習をしていました。(指揮の動作をしながら)『果物いかがですか?』と(笑)。自分の村に帰って、150ユーロというお金を集めるためのキャンペーンをすることにしました。」

クレール・ジヴォー
「我々は彼女の、パリに来たい、なんとしてでも申し込む手段を見つけたい、という信じられないほどの意欲があるのを見たわけです。それは非常に感動的でした。我々は彼女をマドリッドまで連れて来てくれる『人道的フライト』を見つけました」

グラス・マルカーノ
「私は生まれて初めてベネズエラを出て飛行機に乗りました。眠れませんでした。予選に臨む前はほぼ二日間不眠でした。」

クレール・ジヴォー
「なんという天性、なんという才能、24歳で見ず知らずのオーケストラにこんな風に自分の全てをぶつけるという…。同じくエル・システマ[ベネズエラの音楽教育プログラム]出身のギュスターヴォ・ドゥダメル[ベネズエラ人指揮者]の初期の映像を見ると、彼もはじめは箱から出てきたばかりの悪魔のように指揮していましたね。」

エマニュエル・オンドレ
「彼女はベネズエラのイニシアチブで始まったエル・システマの中で育ってきた音楽家です」

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「エル・システマは音楽教育のプログラムで、2歳から、全員に開かれている。」

エマニュエル・オンドレ
「彼女が16歳で指揮を始めたとき、最初はそのようにして[エル・システマの中で]指揮を学びました。彼女はとても直観的で、もちろんとてもカリスマ的なのですが、慣習的なテクニックからは程遠い指揮をします。彼女は『音楽語』を話します。フランス語も英語も話さない彼女ですが、歌ったり身振り手振りをしたりして表現します」

(グラスのリハーサル風景。片言の英語と「音楽語」といくつかのイタリア語(音楽用語)によってリハーサルが進む様子)

グラス・マルカーノ
「私はいつも言うのです、音楽とはまずは感情、伝えるエネルギーなのであって、話すことは必要ではありません。」

クレール・ジヴォー
「このコロナ禍の影響で、彼女はコンクール前の6ヶ月間、指揮をしていない状況でした。私は彼女が素晴らしいと思いましたし、多くのオーケストラ団員たちが衝撃を受け、たくさんたくさん興奮しました」

エマニュエル・オンドレ
「そしてこのコンクールで、クレール・ジヴォー率いるパリ・モーツァルト・オーケストラは彼女に『オーケストラ賞』を授与しました。」

グラス・マルカーノ
「それは私にとってとても大切な瞬間でした。」

エマニュエル・オンドレ
「コンクールの際に、グラスは[指揮の専門]教育を受ける必要があることが明らかになりました」

グラス・マルカーノ
「私はパリ地方音楽院に入学できることになりました」

エマニュエル・オンドレ
「みんなが、先ほども言ったように驚くべきカリスマ性を持つ彼女の人となりに感動して、審査員の中にいた指揮者の多くが彼女を支援しようと提案しました。」

クレール・ジヴォー
「彼女はいい人たちに囲まれています。 マリン・オールソップ[アメリカ人指揮者]はビデオ通話を通じてマスタークラスをするということですし、マクシム・パスカル[フランス人指揮者]も彼女を招待して教育すると言っています。」

グラス・マルカーノ
「私とパリ・モーツァルト・オーケストラとのコンサートシリーズが予定されています。指揮者のクレール・ジヴォーさんにはこのような機会を頂いて感謝しています。彼女は私にとても大事なことを言いました。『9月に、パリ・モーツァルト・オーケストラと一緒にフィルハーモニー・ドゥ・パリでコンサートをするのだけれど、あなたと私とで一緒にやりましょう』と。私は彼女に『ワォ』と言いました」

クレール・ジヴォー
「彼女は指揮するために生まれてきたような人です。そして彼女自身それを望んでいますから、導いてあげなければいけません。十分に自己実現するのを助けてあげなければいけません。」

エマニュエル・オンドレ
「[候補者たちを]落として排除していくのではなく、一種の連帯感を作り出すという考えに基づいた、オープンで連帯的な精神を追求するコンクールでした。このイニシアチブによって、我々はクラシック音楽よりも広い、社会的な大事なテーマに触れることができました、すなわち、リーダーシップをとる状況にある女性の立場について、権力のイニシアチブの共有や宿命について…」

グラス・マルカーノ
「指揮者の役割は、音楽的にまた精神的に人々のグループを導くことです。私の師が言っていた言葉を覚えています、『オーケストラをインスパイアできたらいい指揮者だ』と。」

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