(全文公開) 言葉狩りの危険:「エスキモー/イヌイット」?
「エスキモー」という名前のアイスクリームを販売していたデンマークのハンセンス・イス社が、先住民に配慮して商品名を変更すると発表した。
https://www.afpbb.com/articles/-/3294088
確かに、「『エスキモー』は差別語ですから『イヌイット』という言葉を使いましょう」と小学校あたりで教わった記憶がある。筆者が小学生だったのは1990年代なので、ちょうど1991年にカナダ政府が「『エスキモー』とは『生肉を食べる人』という蔑称であるから、彼ら自身の言葉で『人間』を意味する『イヌイット』と呼ぶ」と公式に決めたのを受けてそのような授業が行われたのだろうと思う。
ただし、「エスキモー」と呼ばれていた人たちはカナダにだけいるわけではなく、アメリカ合衆国領アラスカ、デンマーク領グリーンランドなどに点在している。そしてアラスカやグリーンランドの「エスキモー」たちは自らを「エスキモー」と呼んでその呼称に誇りを持ち、逆に「イヌイット」という新しい呼称に対する嫌悪感を示しているという報告がある。
つまり、「『生肉を食べる人』というのは蔑称である」と決め付けるというその行為自体のうちに、「生肉を食べるなどという文化は野蛮だ」という外部からの価値判断が含まれていることに留意しなければならない。生肉を食べる文化の人にしてみれば、ありのままを捉えた名称である「エスキモー」が「蔑称」だと判断されること、そして別の名称を押し付けられることこそ、自分たちの文化を否定される経験であり、余計なお世話であるばかりかそれが世界中で定着してしまえば逆に差別的な扱いだと感じられるであろう。
「エスキモー」という言葉はだから、筆者の理解したところによると、「場合によっては差別語ではない」と言ってもよいと思う。
同時に、「エスキモー」と呼ばれて傷つく人が確かにいるということを考えれば、何もそのようなセンシティブな言葉をわざわざアイスの商品名に選ぶ必要はなく、誰も傷つけることのない他の無難な名前を選べばよいわけで、今回のハンセンス・イス社の決定は支持できる。
大切なのは、安易に言葉狩りをして、つまり「この言葉は差別語だから使ってはいけません」と決めることで安心するのではなくて、その背景に注意を払うこと。彼ら自身の文化を尊重するとはどういうことかを考えながら議論するのをやめないこと。SDGsでは直接差別の問題を取り上げてはいないが、異文化に対して適切なスタンスをとることは世界レベルの問題を世界レベルで解決していくための大切な基礎であることは疑いない。
実際に「エスキモー/イヌイット」に会う機会があれば、その人自身がどう呼ばれたいか聞いてみるところから始めようと思う。
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