コロナ禍のなかの金沢暮らし@7月15日(木)「祖父の看取り介護14日目」
看取り介護に入ってから、ちょうど2週間経った。明日から24時間体制での家族の看取りが始まるらしい。20時過ぎにこれまた母から入電して伝えられたことだ。
なるほど、祖父の人生のフィナーレの幕が上がったのか。
ただ、実感はない。
先週月曜日に看取り介護が撤回され、週2日点滴を打つことになったが、それも昨日で打ち止めが決まった。日に日に祖父の容体は悪化の一途をたどっているらしい。日曜にはまだ家族と「今週末も生き抜きそう」と笑っていたのに急展開である。そういうの求めてなかった。
実は私も母に電話しようとしていた。要件はまったく反対の方向で、「祖父が生き抜きそうなら日曜の見舞いのあとに出かけようと思う」だった。とんでもない祖父不孝者である。先に電話しなくて良かった。馬鹿の極みである。
ホームでは最終的な看取りになる場合、別室があてがわれる。昨日、伯母に打診があり、今日それが決まった。移動は明日である。終の棲家が、祖父の建てた自宅でないことは私にも思うところはあるが、自宅だった場合この歳まで生きていたかは分からない。それくらい、近年の祖父の足取りは不安定だった。まあ、こう思うことで自分を納得させているのかもしれないが。
明日の看取りは終日父が付き添うらしい。それだけでなく、最期のときまで無期限休暇というから意外とも思う。父は絶対に向き合えないと思っていた。もしかしたら、これまで会社を休まなかったのはこのためなのか。正直、私の出る幕がない。むしろここでしゃしゃり出てよいのか。明日の夕方にも会社を早退しようと思っているが、はたしてそれが祖父と父という親子にとって望ましいものなのか自信がない。ただ、私は私のしたいようにするのだろうとは思うけれども。一応、午前中の祖父の容体を確認して、早退するか否かを決めると母伝いで父には伝わっているはずである。そのはず。
ちなみに弟たちへの連絡は明日、直接母ないし父から口頭説明があるとのこと。末っ子は近所で別居中、長男は同居中だが勤務はちょっとややこしいため、どちらにも本日連絡しないと。そういうわけで私からも連絡はしなかった。
母曰く「まだ爪の色がきれいだからすぐにどうとはならない」とのこと。祖母が亡くなる時の身体変化が強烈に記憶されているので「なるほど」と相槌した。だが、これはあくまで数少ない個人経験に基づく非医療従事者による判断なので、全く当てにならない。もはや祖父の体力を信じるしかない。神を信じる必要はない。それは祖父への信頼に劣るので。
こうなることはわかっていたし、むしろそれは先週に想定されていたものだ。いまさら驚きはないが、動揺はする。ちなみに私が動揺するとどうなるかというと、会社に500mlのハトムギエキス化粧水を持って行くし、冷蔵庫にはアルミホイルが入る。たぶんこのあとも同じようなトラブルが続発するはずである。
まあ、悲しんでばかりいてもその日はやってくるのは違いない。日々、後悔しないような選択をするしかない。
よっしゃ、やっぱり明日早退したろ。