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いーぐるとMEG

「自由」と「ルール」のことを考えるとき、編集者になりたてのころに担当したとある連載のことを思い出す。

私は『ル・クール』というタイトルの20代後半女性向けライフスタイル誌で、ファッション・メイク・料理といった女性誌のメイン分野「以外」を担当する、いわば「遊軍」として雑誌編集者のキャリアをスタートした。旅、インタビュー、カルチャー、生き方。その中に「健康」も入っていた。

一番難しかったのが「カルチャー」だった。映画も小説も音楽も、ものすごく詳しいかといえばそうではない。好きで得意な人は山ほどいる。しかもターゲットの20代後半にはまだ数年ある、当時は一番の若手の分際である。自分が好きなものを取り上げても読者に届くわけではない。そう腹をくくって、「詳しくない自分が聴きたくなる」音楽コラムを書いてもらえる書き手を探した。

当時は雇用機会均等法が施行された直後で、これまで男性だけが楽しんでいたモノやコトを、自分のために使えるお金を手にした独身OL(おもに20代後半。そこが雑誌のターゲットだった。ハナコ族ともいわれた)が楽しみ始めたころだった。その楽しみのひとつに「ジャズ」があった。

もうもうとタバコの煙が立ち込めるジャズ喫茶で、眉根にシワを寄せた男たちが、まるでご託宣のように真剣に聞くイメージがあったジャズだったが、80年代にはおしゃれなジャズバーのBGMとして流れるようになり、一気に女性にも身近なものになっていった。でも、ジャズバーで聴いた曲がどんな曲で、どんな人たちが演奏していて、その曲が好きなら他にどんな曲がおすすめなのか。そんなことを知る機会はあまりなかった。インターネットが普及する前、ニフティサーブがつながったばかりのころの話だ。

ジャズのことがもっと知りたい。そう思って書店に行くと、2人の対照的な案内人の本が人気を博していた。一人は吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」の寺島靖国さん。もう一人は四ツ谷「いーぐる」の後藤雅洋さんだった。

寺島さんは、『JAZZの聴き方に法則はない』という著書のタイトル通り、自分のフィーリングに合わせてジャズを聞くことをすすめていた。一方、後藤さんは「論破のマスター」と言われ、ビ・バップから始まるモダンジャズの歴史やジャズマンどうしの人間関係など膨大なデータを踏まえ、その音楽の所在地を明らかにした上で、選び方や楽しみ方を指南していた。

女性向けには寺島さんの方がいいんじゃないか、と最初は思った。寺島さんのジャズ評は軽妙で、「こんなふうに楽しめたらいいな」と思えた。でも、本を閉じた後、ちょっと迷子になっている自分がいた。どこから登っていいかわからない山を前にした登山初心者のような気分だった。一方、後藤さんは一見、とっつきにくい。理屈っぽくもある。でも、右も左もわからない私にとっては、ジャズという未知の音楽に「地図」があるんだと知ったことのほうが、「自由に聞けばいいよ」と言われるよりも、とっかかりをつかめるような気がした。

私は副編集長に頼み込んで、後藤さんへの原稿依頼に同行してもらった。「わからないからこそ、どの場所にいるのかがわかった方が安心して楽しめると思うんです」と必死で訴える23歳の私に、「論破のマスター」は満面の笑顔で「おもしろいですね。やりましょう」と連載を引き受けてくれた。書影の強面とは違い、やさしい方だった。そして頭も言葉もめちゃめちゃ切れた。

当時の編集部は1フロアに感熱式のファクスが1台だけだったので、後藤さんの手書き原稿もファクスで「ジー」という音とともに届いた。それを毎月、誰よりも早く読めるのが楽しみだった。打ち合わせのために「いーぐる」に通えるのもうれしかった。ジャズのジの字も知らなかった私が、後藤さんの原稿に導かれるままにジャズが好きになり、中でも後藤さんが「変態」と呼び愛するビル・エヴァンスがお気に入りになった。

旅に出た時も、帰る家があるからこそ安心して楽しめる。つながっている番地がわかっているから、冒険もできる。だから自由のためにはルールや枠組みが大事なのだ。たとえ最初は不自由だと疎まれようとも。

そんなことを、音楽を通じて教えてくれたのが後藤さんだった。
「いーぐる」は今年で開店55年になると思う。一人のマスターがここまで長い間、ジャズ喫茶をやり続けているのは日本中でもここだけだと聞く。その人気の背景にはストーリーを意識した緻密な選曲があったということも、50周年の時のインタビューを読んで知った。さすがである。

このnoteを書きたいと思って調べたら、すっかり白髪の、でもお元気そうな後藤さんの様子がインターネットのあちこちに上がっていた。

久しぶりに後藤さんの顔を見に、「いーぐる」を訪れたくなった。
覚えていてくださるだろうか。30年以上前の話である。

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