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すてるぞ

今の暮らしがイヤ。

イヤ、というかイヤやと自覚できてる時間はまだいい方で。ぼうっとぬるま湯の中で、麻痺して、考えなくなって、感じなくなって、イヤだか何だか、わけがわからなくなってる。

世間的には、何もしてない。なのに毎日忙しい。仕事が忙しくて、とかじゃなくて、ゲームしてて、楽しくて、とかでもなくて、やりたくないことで忙しい。

いつも、着たくないものを着て、読みたくない本を読んで、作りたくないものを作って、食べたくないものを食べて、太りたくないのに太って、知りたくないことを知って、話したくないことを話し、好きでもない人と一緒にいて。


もったいないからと、紙袋を棄てるときに、とっておいた紐の、使い道がなくて、結び合わせて、これを使って、ごみを捨てる。そのためにかかる時間の長さと労力の多さ。

私、何やってんだっけ? 何しようとしてたんだっけ? 何がしたいんだっけ?

人生がこんなことで終わってしまう。

自分が好きなこと、美しいとかかっこいいとか感じること、すてきなことから、どんどん遠ざかって、物理的にも、精神的にも、いらないことで埋め尽くされて、やばい。ほんとに、このままだと、このまま死ぬ。

反省しなかったわけじゃない。何度も、試しました。こんまり、断捨離、ミニマリズム。

しかしいくら、場当たり的に、目の前のものを一瞬捨ててもダメだ、これでは。

これはもう、頭の中から変えねば、ダメだ。
違う人間になるくらいの覚悟がなければ、ダメだ。

自分によい影響を与えてくれるものや、人の力を借りて、自分を変えよう。変えるしかない。変えないと、これじゃ、終わりだ、自分。

変えてくれそうな、よい本に、出逢った。メモる。

『ぜんぶ、すてれば』

この人、すごくかっこいいんだろうな。外見とかがどうこうとかの問題ではなくてね。もちろん外見も素敵だと思いますが。やってることというか、生きる姿勢がいい。

大体、ミニマリスト本とか、捨てなくちゃ系の本って、生活臭が強くて、地に足着いた、と言えば聞こえがいいけど、でもしょせん、小さなことだよね、という、どこか、さもしい感が付きまとうのが、結構多い。捨てたら、そりゃ、気持ちいいですけど、でも、冷たいよね、みたいな、みみっちい気持ちが押し寄せてきて、結局数日後には、元の木阿弥というか。

パターンもかなり決まっていて。もともとダメだったのが、片付けたり物を減らしたら、こんなに幸せになりました、みんなもそうなりますよ、みたいな。答えが決まってる感じ。想像の範囲内を出てるようで、なかなか、出ない。それが悪いというんじゃあない。でもやっぱり、人は、現実ずっと見せつけられるより、現実逃避したくなる生き物だと思う。

この本は少し、変わってます。この人を手本にしようとしても、できない気がする。再現性があると、あんまり、思えないのです。地に足着いてる感じ、しないんですよね。

でも、なんというかな。こういう気の持ちようこそ、本当の、義務感じゃないやる気を沸かせるものだと思う。この系統の本はたいてい、やらなきゃという義務感の占める割合が大きい。でも、この本の場合、中野善壽に近づきたい、この人になりたい。という気持ちにさせてくれる本です。片付け本、義務度←→あこがれ度、再現性:高い←→低い 個性:強い←→弱い
と、チャート図が作れると思うのだけれど、憧れ度最高、再現性最低、個性最高な気がします。

こういう人の近くに行きたい。と思う。けれど、実際に近づいたらきっと、たいへんだよねとも思う。ついていけなくて、嫌いになったり、自分はこんなふうになれないという劣等感にさいなまれて傷ついたりするのかもしれない。

でもこうして本で読んだ印象の好き嫌いでいうと、この著者、とても、好きです。身近だけど身近過ぎない、ちょうどいい距離にいつもいてほしい。頭の中に彼を住まわせておいて、脳内で中野さんと、いつも仲良くすごしていたい。そういうとても、魅力的な人の、すてきな本で、ほかの片づけ系の本と全く違うところを刺激する本です。

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