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熱地球

 地球温暖化が進行し、多くの海は干上がっていった。海よりも、陸の面積が多くなり、川は枯れ、湖も枯れていった。西暦3000年、陸地の7割以上が砂漠と化し、とうとう地球上には巨大な池がひとつ残るだけになってしまった。

 他の多くの生物種と同様、人類は池に近い場所に競い合うようにして住んでいる。最初のうち、温暖化の原因について、人々は議論し、研究室を続けていた。温室効果ガスを増加させないための様々な研究もおこなわれたが、暑さ対策の研究に優先順位が切り替えられ、温暖化の研究をする余裕はなくなってしまった。温暖化研究に限らず、ほとんどの研究機関がそれまでの研究を中止し、食糧など、人類の生存を維持するにはどうすべきかという議題に研究内容を切り替えていった。人々も暑さのため、知的なことに興味を持たなくなって、より涼しく過ごすための工夫や快適に眠るための手段など、その日その日の生活を心地よく過ごすことの方に関心が移っていった。

 世界的に乳幼児の死亡率は上がる一方、平均寿命は下がる一方。世界全体の人口は今の五十分の一、1億ほどになってしまった。人類のみならず、生物種の多くは個体数を大幅に減らしていった。
 
 一時期、科学技術が発達していた頃に生まれ、改善を重ね続けた翻訳アプリ・エスペランは、もう使われなくなってしまったが、このアプリが世界じゅうでいきわたって以降、世界統一言語エスペランが普及。地球上の人々は今よりずっと簡単に言葉を交わすことができるようになっていた。

 人類間の格差はなくならなかった。
 貧困層の住むシータ居住区、中流層の住むナカマー居住区、富裕層の住むエリト居住区と、池の周囲でもそれぞれの階層に分かれ、固まって暮らし、それぞれシータの民、ナカマーの民、エリトの民と呼ばれていた。
 シータの民は人類の1割程度だ。歌がうまい、絵がうまい、踊りがうまいなど、芸時に優れた者のうち、エリトに気に入られて、突然エリトの仲間入りをする者もちらほらいた。が、シータの民の大半は心身に問題を抱えていて、普通に働くことができない者が大半だった。シータの民の多くはエリトの民に頼って暮らしていた。シータの民は生きるため、盗みでも、売春でも人殺しでも躊躇しないものが多かった。
 シータの民と同じく人類の1割程度を占めるのがエリトの民だ。莫大な財産を持ち、衣・食・住は自分の好みにこだわった。シータやナカマーに気まぐれに金を配ったり、寄付をしたりするものも多かった。自由に恋をしているエリトも多いが、エリト同士での争いごとや、足の引きずり合いも少なくなかった。シータに高額の金を与え、自分の好みの容姿に整形手術をさせたり、好みの服を着せたりして自分の性欲を満たすエリトや、自分の殺したい誰かを高額の謝礼でシータに殺させるエリトもいた。エリトの家庭では多くが召使としてシータを雇っていた。ほとんどのことは金で解決できると考えていたので、同じエリトのあいだでも、より金を持っているエリトが尊敬され、妬まれる傾向があった。
 かつて普及していた美容整形は、かなりすたれた。富裕層エリトの民、もしくは富裕層が自分のお気に入りの貧困層シータの民を美しくするために用いられるのみとなった。今は美容外科より、外科医、内科医、小児科医の需要が急増していた。
 人類の8割を占めるのがナカマーの民だ。ナカマーの民は人類は平等であるべきだと考えていた。衣食住もしくは福祉、行政に関する仕事に携わる者がほとんどだった。ナカマーに限らず人類のほぼ全員に取り付けられたチョーローと呼ばれるコーディネートアプリが人それぞれの体力、知能、行動パターン、健康状態などを計測することで、自分にピッタリな教師、友人、結婚相手をAIで割り出すことができた。チョーローのおかげでナカマーの民たちはすぐに相手を見つけられるようになった代わりに、自発的な恋をしなくなった。正確に言うと、恋をすることがあっても、チョーローの計算で割り出された最適な相手と結ばれるべきだというルールに従い、ナカマ―の民自身の感情を優先させなかった。悩み事はチョーローに相談すると最適解をAIで計算して教えてくれた。言いにくいこともチョーローがうまく伝えてくれたのと、ナカマー同士で争わないというルールがあったため、ナカマーたちは喧嘩をすることがなかった。
 ナカマーの民は、平等であることを正しいと思っていた。自由に着飾って立派な家に住み豪華な食事をし恋をするエリトの民たちを羨ましいと思いながら、妬んでいた。人類や生物の存続が危ぶまれるときに豪勢な暮らしをし、シータの民たちを金の力で言いなりにさせているのは間違っているとナカマーは考えた。ナカマーは常にチョーローの決めた判断やルールに従うのが正しいと考えており、ナカマー同士で集まるたびに、エリトの民やシータの民がチョーローの判断やルールに従わないことについて愚痴を言った。日々、チョーローの判断やルールを守って生きているナカマーは、ルールに従わず自分達より自由を謳歌しているように見えるシータの民やエリトの民に憎しみを募らせ、シータの民やエリトの民の愚かさやナカマーの民の方が正しいという意見をナカマーの子どもたちにも説き続けていった。
 チョーローが計算して出した相手と交際し結婚するナカマーの民は、エリトの民たちが自由に恋をすることを愚かだと考えている。自由恋愛は選ばれなかったものが傷つき、差別が生じ、誰かが嫌な気分になり、裏切りかそうでないかの善悪がはっきりしない。それよりはチョーローの判断に任せた方が平等でわかりやすいため、ナカマーの民は自分の気持ちを押し殺してルールに従い、従わないと排斥され、たいていはシータの民となる。
 ナカマーの民は、エリトの民の要望を金さえもらえばいくらでも聞きいれて盗みを犯したり整形したり脅迫したり売春したり人殺ししたりするシータたちを情けないと蔑み、正しい自分たち――ナカマーの民がシータの民やエリトの民を教育しなければならないと思っている。ナカマーの民たちは、自分たちは金で動く人間ではないということを誇りにしているので、シータの民やエリトの民は、倫理的に自分達ナカマーよりも劣っていると考えている。
 
 温暖化は進行し続けている。気温が上がり続け、大きくひとつだけあった池は、影取池、姿見の池、真姿の池に分かれる。貧困層の住むシータ居住区、中流層の住むナカマー居住区、富裕層の住むエリト居住区はもはや入り乱れ、三層の民が入り混じって池の周りで他の生物種と暮らすようになる。
 ナカマ―の民のうち数人の教師たちが、エリト相手の売春の準備のために影取池の近くで水浴びしている若いシータたちを教育しようと考える。シータの民たちのしていることは恥ずかしいことだと説き伏せ、プライドをナカマー教師たちがずたずたにしてしまった結果、生きていることが恥ずかしくなった若いシータの民たちは影取池に集団で入水自殺する。これが発覚することを恐れ、シータの民を教育しようとした教師たちはナカマーの民一味に相談する。普段からシータやエリトに敵意と優越感を抱いていたナカマーたちは自分たちの身元がばれないよう竜の姿に変装し、自殺したシータたちの様子を見に来た家族のシータの民や愛人のエリトの民たちを影取池に引きずり込んで殺してしまう。

 人類が生き延びられるかどうかというときに、整形し、着飾り、恋をして、豪勢に遊んで暮らし、金の力でシータを思い通りに――ときに奴隷のように扱うエリトの民たちを妬み、憎み続けているナカマーの民は少なくなかった。幼い頃からエリトの民への恨みを募らせて成長したナカマーの青年が、かつてエリト居住区内にあった研究機関で働いていた医者たちの話を立ち聞きする。青年はこの研究機関に忍びこみ、隔離施設内に閉じ込められていた皮膚病の感染症、テンネのワクチンを持ち出した後、テンネ菌をまき散らす。高温で水の少ない環境を好むテンネ菌はかつてないほど強い勢いで広がっていく。テンネに感染した者の多くが目も当てられぬひどい容姿になる。テンネの病で死ぬ者だけでなく、鏡で見た自分の姿に絶望して死ぬ者が急増する。テンネ菌を持ち出したのは誰か、管理していたのは誰か、虚実入り混じった説や陰謀論が跋扈し、紛争が起きる。
 テンネ菌のワクチンが姿見池のそばにある研究機関で開発され始めたという事実が噂となり、捻じ曲げられて伝わっていった。姿見池に入ればテンネが治るという噂を聞きつけた人たちが押し掛けるが、順番待ちをしている間に、設置されたたくさんの鏡で自分の醜い姿と向き合いつつ、愛する人が死んだとか、他の人と結ばれたという情報を見聞きし、将来を悲観し絶望した患者たちの何人かは、姿見の池に身投げして死んでしまう。
 温暖化に加えて紛争や感染症を経た人類は、もはや争っている余裕はなくなる。真姿の池近くで医者集団がワクチンを研究開発するための施設をもはやシータ、ナカマー、エリトの別なく協力し合って運営し、紛争による攻撃を逃れる。研究者たちが暑さで苦しまないよう、情報が漏れないよう、シータ、ナカマー、エリトがお互いに助け合い、テンネ菌の患者やその家族を癒し励ましあう。大勢の死者たちを埋葬するうち、シータ、ナカマー、エリトがお互いに持っていた不信感が消えていき、人類だけでなく他の生物種を交えた連帯感が生まれていく。シータ、ナカマー、エリトの三層だけでなく、容姿、年齢、バックグラウンドの別なく労わりあううち、自由に恋をし、愛し合うようになり、他の生物種をいたわる気持ちもよみがえり、地球上が徐々に愛で満たされていく。
 ようやくワクチンが開発され、エリトのみならずシータやナカマーの有志とともに、テンネを収束させる。温暖化のみならずテンネの感染や紛争や集団自殺を経てすっかり減少した人類は、これからはもうシータ、ナカマー、エリトの別なく仲良くやっていこう、と話合い、手を取り合う。しかし地球の温度は上がり続けていた。地球上から水は失われ、巨大隕石の衝突によって大きな爆発が起きる。他の生物種とともにシータ、ナカマー、エリトの別なくみんな、高温の球体として一体化した。隕石のかけらは新しい惑星となった。人類を含め生物種の代表を乗せた惑星もある。
 もとあった地球は光り輝く恒星として熱を帯び、新しい生命が誕生する日を待ちながら、出来たばかりの惑星たちを照らしつつ、太陽のように輝いている。

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