【英語】うまく喋ろうとしなくていい!話したい思いがあれば心は繋がる。♯065
先日、娘と一緒に二条城に行ったとき、偶然イスラエル人のご夫婦と仲良くなった。
きっかけは私たちが座るベンチにご夫婦が座ってきたことから始まる。
(余談だが日本人は誰かが座っているベンチには、あえて座りかけない人が多いように思うが、海外に行くと、相席される確率の方が高い気がする)
ご夫婦がほほえみかけてくれたことをきっかけに
"Where are you from?"
と私が声をかけたことから会話が始まった。
帰り際、ご夫婦から
「あなた、ほんとによく喋るわね」
と言ってもらえたが、文脈からは決して流暢さを褒められたわけではないことはわかった。
それはその前に続く言葉が
「日本人は英語を話すことを恐れているけど、完璧を目指さなくていいのよ。あなた、ほんとによく喋るわね!」
だったからだ(笑)。
間違ってもいいから相手と対話をしたい「度胸」を褒めていただいたようだ。
この度胸は、間違いなくイギリスに住んでいた2年間で体得したものだ。
私の周囲には、移民のママ友、パパ友が多かったから、どんなによく喋るお父さん、お母さんでも「私の英語はまだまだ」と言っている人たちが多かった。確かによく聞くと、文法や単語の使い方がおかしかったり、発音がなまっていたりすることはあった。が、彼ら、彼女はとにかく間違った英語でも臆することなく喋っていた。だから流暢にうつった。
渡英前は、英語を聞き取れないことはもちろん、文法や単語の誤使用、ネイティブのようには喋れない発音に自信がなくて、「下手な英語と思われたら嫌」と思って話すことには勇気が必要だったが、世界各国、母国語が英語の人ばかりではない。
私自身、決してイギリスで流暢な英語で喋っていたわけではなかったし、言いたいことが英語で言えず「あー、日本語ならもっと話を膨らませられるし、深められるのに!」と悔しい思いは何度もしたけれど、仲がよかったママ友、パパ友と会える最後の日は、お互い涙を流しながら、ハグで別れを惜しんだ。
間違っても、訛ってても、伝えようとすれば伝わるんだ、と思った出来事だった。
それより大事なのは、偏見を取り除き、心と心で繋がること。
イスラエル人のご夫婦に、「今、大変じゃないの?」と尋ねたところ、
「今、日本に来ているから大変ではないけどね・・・」と冗談交じりに答え、
私が「でも、帰ってからは・・・」と言葉を添えると、苦笑いをしていた。
首相に対する怒りも露わにしていた。
「現首相に反対している人たちも半分はいる、いや6割、7割」
「反抗して座り込みをしているわ」
「でも、彼はその椅子から降りようとしない」と。
気を付けていないと、ついつい報道から受ける内容で「国家=国民」という公式でその国の人を見てしまいがちだ。
当然だが国民一人一人が、その国の挙動と必ずしもイコールでは決してない。
ただ、それは、このような"地べた"でのかかわりが無ければ、見えてこない。
コロナ前の外国人観光客数に迫りつつある最近のインバウンド事情。
「度胸」一つで、海外からの人たちと近づける機会は山ほどある。
うまく話そうとしなくたっていい。
相手を知りたいという思いがあれば、心で繋がれると感じられた出来事だった。