結婚10年目に思う、家族や縁、家族以外の人との繋がりについて♯138
今日は結婚10年目の記念日だ。
一筋縄ではいかないことも沢山あったけれど
この10年のハイライトの瞬間は家族と共に居た。
結婚式のスピーチで、夫が、「同じものを見たり、聴いたり、食べたりしながら、感動を共にしたい」というような趣旨の話をしていた。
この10年間、大阪、東京、広島、京都、イギリス様々な場所に住み、沢山の場所を家族で旅した。おかげで家族と経験を分かち合う機会が沢山あった。今でも過去を辿ると、家族で温かい瞬間を共有できる。
宮崎駿さんの
「大事なものは、たいてい面倒くさい」の言葉を借りるなら、家族は相当面倒くさいものなのだと思う。
家族ができてからと言うもの予期せぬ出来事の連続だった。
結婚して早々の夫の転勤、そして帯同、そのため転職したての会社を休職することになったこと。
また超ドメスティックな会社なのに、まさかのイギリス駐在の切符を夫が掴んだこと。でも、コロナで夫と2年近くの別居生活(新生児生まれたての時期に)をすることに。そしてその後、イギリスで生活をすることになった。
些細なことだと、子育てをしていたら、予測不能、コントロール不能な出来事ばっかりだ。
おかげで、これまで逆算型の人生設計しかしてこなかった自分が、予想外の出来事を楽しむ術も少しは身についた。
自分に乳がんが見つかったことだって、10年前、想像すらしていなかった。
でも、この経験をこれからに活かしたいなんて案外前向きに思えていたりもしている。
Facebookで10年前の投稿を辿ると、「1年前(つまり11年前の今日)、アメリカへ旅立つとき、空港でバッタリ出会った人がスペインへ旅立つ夫だった。当時はこの人と結婚するなんて思ってもいなかった」なんて書いている。
縁っておもしろい。
結婚10年目にわかった乳がん。
一人暮らしを始めて間もない18歳の春、謎の高熱で、一人っきりで悶えながら、病院に駆け込み、点滴を打たれながら「将来、家族を作ろう」と直感した。あのときの直感は自分にとって間違いではなかった。
家族がいたから、がんと宣告され、死の淵が見え、一時期、少しばかりは落ち込んだけれど、「不安定になったらいけない」と思い返せた。
家族の存在があったからこそ・・・と思う一方で、
家族がいるからこそ、家族以外の人たちの存在の大切さも改めて思える。
自分が寄りかかれる木が家族だけだったら、きっとそのうち、木が倒れることも最近は想像する。
そうならないようにするには、自分がなるべく自分で立つこと。
もしくは、沢山の木に支えてもらうこと。
最近、自分は、本当に沢山の木に支えられていることに気づかされる。
そのおかげもあり、家族という名の木にもたれかかってはいるのだけど、それが折れずに済んでいるということも実感している。
孤独や、悲しさ、不安を分かち合える人が近くにいることが、なんて心強いことか。
もちろん家族は面倒くさいこと、泥臭いことも引き受けてくれる。
濃い繋がりである。
でも家族のような優しさで、思いを寄せてくれる人たちへの感謝の気持ちも忘れたくない。
結婚式の時、もうこんなにも自分のために大勢の人が思いを寄せてくれるなんて機会、次は葬式まで無いだろうな、なんて思っていた。けど、あった!
まさにそれが乳がんになった今。
まぁ、葬式に近いのかもしれないけれど(笑)
結婚10年目、多くの人たちの縁に恵まれながら、先が読めない、けれども、かけがえのない、おもしろい日々を過ごしている。