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地下ホラー女優の素朴な生活(3)
真夏の幻影
10年くらい前の話と記憶しております。
とある真夏の昼間、夏と解っていても腹立たしいほど暑い暑い日でございました。
当時、京王線の笹塚という駅の近くに住んでいたわたくしは、駅前で買い物をすませ、甲州街道という道路をフラフラと家への道を歩いておりました。
平日の昼間、そこそこの人通りであります。
(暑いなァ・・・)
それしか考えられず呆としながら歩いていると、ふと、向こうから歩いてくる一人の男性が目に止まったのでございます。
向こうから、と記しましたが、実際は「向こう」などという距離ではなく、少なく見積もってもその方との距離は30mはございます。
さらにその方以外にも数人の男女が歩いてくる様子、そんな豆粒ほどにしか見えず表情も分からない一団の中、なぜその男性にだけが気になったのでありましょうか。
いや、オーラ(殺気)がすげえのよ・・・
彼がまとう「触れる者みな傷つけてなんぼ」そんな色が見えるほど恐ろしいまでに彼を包み込む毒々しき小宇宙。
なんだか分からないのですが、そんな炎天下に異彩を放出しながら向かい来る彼に釘付けになったままなす術なく歩を進めるわたくし。
距離が狭まって来たところで、なんとなく小柄な男性だということが分かって参りました。
更に近寄ってくると、ほとんど頭髪のない大地康雄似の老人だということも分かって参りました。
ついに距離が10mを切ったところで、白い昭和タンクトップとベージュのチノパン姿の彼の額に、何か書かれた紙が貼ってあることが判明いたしました。
(わあー、おデコになんか貼ってあるぅ・・・)
・・・何かわかんないけど、本物でありました。
こわい・・・正直怖い。近づいたら
しかし周りの人間は気づいていない様子で、誰一人彼を盗み見る者もなく談笑しながら歩いているのであります。
もしや彼は私にしか見えていないのでありましょうか・・・
(え、なに、やばいやばい、近づいてくる!やばいこのままだと思いっきりすれ違ってしまう!!だがしかし・・・)
と、内心おののきながら、なんなら引き返そうかとも思うわたくし。
だがしかし、だがしかし、
おデコの紙に何が書いてあるのかが、めちゃくちゃ気になるわけであります。
そう、この平和な夏の昼下がり、短時間でここまで脳内を翻弄されたのでございます。せめて、額の紙に何が書いてあるのか見届ける権利はわたくしにはある。いやこれはきっと杉並区代表として大好きなゆるキャラ・なみすけからわたくしに与えられた使命なのでありましょう!
そう思い込みながら歩き続け、ついに男性とすれ違った瞬間の一瞬、そう一瞬だけ、全力を込めて目線だけを彼に動かしたのであります。
朱文字で書きなぐられた藁半紙には
「府中刑務所」
と記載されておりました。
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お、おお・・・
(ふちゅうけいむしょ、か・・・)
彼の目的も、この出来事のオチも、何ゆえ周りの誰一人注目しないのかすら、何もかもにわたくしの理解が一切合切追いつかないまま、あっけなく彼は私をかわし、大地康雄似の険しい表情のまま、笹塚駅前の雑踏に消えていったのであります。
あれから10年経った今でも、彼はわたくしにとって炎天下の白昼夢が見せた、考察してはならない真夏の幻影だったのだと信じているわけであります。