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【北欧読書14】アイスランド:文芸への情熱

アイスランドにはクリスマスに本を盛大に送り合う習慣がある


アイスランド語話者は約40万人

北ヨーロッパの北大西洋上に位置するアイスランド、人口は約40万。公用語であるアイスランド語の話者も人口とほぼ同数の約40万人。アイスランド語は時代的な変化が極度に少ないことが言語的特徴として指摘される。そのため言語学や文学の研究者でないアイスランド語の平均的ネイティブスピーカーでさえ、12世紀に記されたテキストを容易に理解できるという。

語りの文化が少数話者言語を守る

アイスランドは文芸が盛んな国としても知られる。これはアイスランド語の孤立性や希少性にも起因するが、それだけでなく中世以来の「語りの文化」の伝統が深く関係している。その象徴的な文芸活動が「夕刻の覚醒 (kvöldvaka)」と呼ばれる、中世から1930年代まで続いた文化習慣である。アイスランドの家庭では冬の間、日没から就寝までの間に文学、冒険物語、神話世界を語ったり読んだり、歌を歌ったり、詩を朗読したりする時間があった。この慣習が文学的知識を伝達し文芸を伝承する回路となった(Pétursdóttir and Júlíusdóttir, 2009, p. 14-16; Júlíusdóttir, 2023, p. 127, 137-138)。

「夕刻の覚醒」は語りから本の読み聞かせへと次第に進化した。近世では家庭に識字者がいて本があることが「夕刻の覚醒」の条件となった。その後この風習が衰退していったのは、1930年にアイスランド国営ラジオが設立されてからという(Pétursdóttir and Júlíusdóttir, 2009, p. 14)。

公園のベンチから詩が流れる

こうした歴史的経緯もありアイスランドは現在でも物語を作ること、物語を聞くこと、本を書くこと、本を読むことを愛好する人びとが暮らす国として知られるようになった。アイスランドの人々の文芸にかける情熱については、人口比にした出版社の数、図書館の数、作家の数、年間読書量などの統計値がそれを実証している。他にも作家が国から給与をもらえることや、親類縁者に話が及んだ時に一族の中に必ず作家がいることなど、文芸にまつわる話題は事欠かない。

レイキャビクは2011年にユネスコ(国連教育科学文化機関) の文学都市(Bókmenntaborg UNESCO)に指定された。関連イベントとして立ち上げられたのが「ベンチからの言葉」というプロジェクトだった。この時レイキャビク市内の公園Hljómskálagarðurinnに、コードをスキャンするとスマートフォンで物語や詩の朗読を聴くことができるベンチが設置された。ベンチから流れる物語や詩はこのプロジェクトのための書き下ろし作品だという。そして今から紹介する「クリスマスの本の洪水(jólabókaflóðið)」は、アイスランドの文芸に関わる最も有名なトピックとして海外からもよく知られている。

さあ今年も本の洪水の季節が始まる

「クリスマスの本の洪水」とは、アイスランドでクリスマスに本を送り合う習慣のことである。この伝統はアイスランドの風物詩として半世紀以上も続いている。2019年にマーケットリサーチ企業のZenterとアイスランド出版協会(Félag íslenskra bókaútgefenda)が実施した1,000名以上を対象にした調査によれば、クリスマスに本を受け取った人は回答者の43.6パーセント、その数は平均すると1.17冊だった。一方、プレゼントとして購入された本の平均は2.23冊であり、本を送り合う強い伝統があることを示している(Hegdal, 2020, p. 33)。クリスマスが近づくとプレゼントを買うために訪れた多くの人々で書店は賑わい、いつもにも増して活気づくのだ。

クリスマス休暇は読書三昧

「本の洪水」は、アイスランドが共和国としてデンマークから独立した1944年頃に、「誰でも楽しめる本はクリスマスプレゼントに最適である」ことに気づいた出版社がプロモーションを始めたことが発端だった。80年近い年月が経つ今では、本を送り合う風習がすべての世代に定着したのだ。アイスランドではクリスマスイブに真新しい本を手にし、クリスマス休暇はその本とともに過ごす人が多い。「本の洪水」がアイスランドで定着したのは、アイスランドでは人々が文学やサガ(Saga)に親しみを持ち、日常的に物語を楽しむ習慣があったことと無縁ではないだろう。

プレゼント本を選ぶためのツールも完備

アイスランド書籍出版社協会(Félag íslenskra bókaútgefenda)は毎年秋に「図書カタログ(Bókatíðindi)」を発行し、「本の洪水」イベントを支えてきた。このカタログは「本の洪水」の時期に合わせてかつては全世帯に配付されていたが、現在では、オンラインで提供されるようになった。このカタログを見ながら誰かに送る本を選んだり、自分がプレゼントしてもらいたい本を選ぶことができる。カタログは児童書、フィクション、ノンフィクションのカテゴリーに分かれていて、詩や脚本、マンガも含む700冊もの本が掲載されている。シーズン中は、図書館や書店にもこの「図書カタログ」の印刷版が用意される。

出版活動の活性化が言語を守る鍵

ところで話者が約40万人しかいないアイスランド語を守るために、アイスランドでは国が積極的に出版活動を支援している。書籍の出版はアイスランド語とアイスランド文化保護のための最も重要な柱の一つであるとみなされているからだ。2019年には書籍に対する付加価値税が廃止されるとともに「アイスランド語書籍出版支援法(Lög um stuðning við útgáfu bóka á íslensku)」が施行された。

少数言語による出版を守るための法律

同法は欧州経済領域(European Economic Area: EEA)、欧州自由貿易連合(European Free Trade Association: EFTA)加盟国、フェロー諸島の各地域で、アイスランド語で出版された書籍の出版に伴う費用の一部の払い戻しに適用される。印刷図書だけでなく録音図書や電子書籍も支援の対象となっている。「アイスランド語書籍出版支援委員会」が申請書を審査し認めた場合、書籍の出版にかかった費用の25% が支払われる。つまり書籍出版の際に発生する費⽤の一部を払い戻すという形で出版社を支援し、アイスランド語での書籍出版を促進することが「アイスランド語書籍出版支援法」の⽬的である。

少数話者言語であるアイスランド語とアイスランド文化を支えるのは、作家の旺盛な創作エネルギー、読書好きなアイスランド語話者、創作や出版を推進する文化政策者、実際に図書を作る出版社、そして本を流通させる書店・図書館といったアクターの結束力によるものだろう。

出典
■「アイスランド人の読書熱と出版熱」在アイスランド日本国大使館, https://www.is.emb-japan.go.jp/itpr_ja/taishi11.html

■アイスランドの出版事情
Iceland – Books for Christmas, Åsfrid Hegdal, Norwegian Publishers Association, Reading matters: Surveys and campaigns: How to keep and recover readers, International Publishers Association, 2020, 89p.

■アイスランドの文芸への情熱を紹介するBBCの記事
Iceland: Where one in 10 people will publish a book, 14 October 2013, https://www.bbc.com/news/magazine-24399599

■「ベンチからの言葉」プロジェクト
Benches in Reykjavík Tell Stories, Recite Poems, Iceland Review, August 20, 2014
https://www.icelandreview.com/news/benches-reykjavik-tell-stories-recite-poems/

■アイスランド書籍出版社協会の図書カタログ
https://www.bokatidindi.is/

■「アイスランド語書籍出版支援法」について
<法律>
Lög um stuðning við útgáfu bóka á íslensku, https://www.althingi.is/lagas/154b/2018130.html

<解説>
■「アイスランド語書籍出版サービス」
Stuðningur við útgáfu bóka á íslensku, https://www.rannis.is/sjodir/menning-listir/studningur-vid-utgafu-boka-a-islensku/

参考文献
Hegdal, Åsfrid (2020) Norwegian Publishers Association, Reading matters: Surveys and campaigns: How to keep and recover readers, International Publishers Association, 2020, p. 33-35.

Júlíusdóttir, Stefanía (2013) Reading Societies in Iceland: Their foundation, Role, and the Destiny of Their Book Collections, Navickienė, Aušra, Mäkinen, Ilkka, Torstensson, Magnus, Dyrbuye, Martin, Reimo, Tiiu eds., Good book, Good library, Good Reading : Studies in the History of the Book, Libraries and Reading from the Network HIBOLIRE and its Friends, Tampere, Tampere University Press, p. 125-165.

Pétursdóttir, Kristín H. and Júlíusdóttir, Stefanía (2009) The History of Public Libraries in Iceland, Dyrbye, Martin, Mäkinen, Ilkka, Reimo, Tiiu and Torstensson, Magnus eds., Library Spirit in the Nordic and Baltic Countries: Historical Perspective, Tampere, Hibolire, p. 13-26.

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筆者撮影 Munkkiniemen kirjasto(フィンランド)