コツコツと一歩ずつ。地に足をつけながら(写真とコトバ)
久しぶりにカメラを持ってお散歩をした。感覚が鈍ってた。撮りたいって気持ちが湧いてこない。
これまでの自分は、敏感すぎて、繊細すぎて疲れることもあって、鈍感になりたいって思ってた。けど、カメラを持っているときは、自分の感覚センサーに、敏感になりたいって思った。研ぎ澄ませる感覚?
たまには、インターネットを遮断して、自然の空気を感じる時間を大切にしたい。そんなことを思いながら、歩いていた。
おもむろに、カメラを持ち上げて撮った景色は、根っこだった。
結局、コツコツやるしかない。地に足をつけて、浮き足立たず...。周りに流されすぎず...。そんなことを、金曜日に会社の仲間と話していた。
だからなのかな。どっしり構えていた神社にそびえ立つ樹木の根っこに惹かれた。
砂利道のオトが好き。歩いていたら、春の気配を感じた。
水のオトと、ヒカリが、流れていた。
ヒカリと陰。
そういえば、わたしはヒカリがあたっている反対の、陰の部分が好きだったんだ。学生時代は、音楽の舞台や演劇の舞台での裏方をやることが多かった。スポットライトがあたっていない世界の人たちの、工夫や配慮が好きだった。そんなことも、カメラを持つと思い出させてくれる。
厄年だったので、厄除に神社に行ってきりとった世界。
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翌日はめずらしく、早くに目が覚めた。
これまでの写真を整理しながら、感情を言葉にしていたら、日の出の時刻になっていた。
日の出は、なぜこんなにもうつくしいのだろう。静寂の空気の中で、鳥の鳴き声が聞こえる。街はまだ起き始めていない神聖な空気。久しぶりの感覚だった。
歩いてきた道を振りかえると、月が見守っていた。満月だった月も、1日経つと、満ち欠け始める。月も変化しつづけている。
霜柱を見つけた。コンクリート道ばかりを歩いていた。小学生の頃の通学路を思い出した。
春は、また来る。
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2021年の1月もおわり。
今年は、カメラを持ってお出かけるす時間を味わいたい。撮った写真を眺めながら、感情を言葉にするのは、自分と向き合う時間でもあり、とても癒される時間なんだなって思った。ただただ、自己満足だけれど、自分の創作活動の一つなのかもしれない。
ふだん、湯気なんて気にならないのに、カメラ越しだと無性に湯気を切りとりたくなる。
ハートマークに踊ってみたり、ふらふらと、ゆらゆらと、揺れる湯気。初めて、小豆からお汁粉を作った。最初失敗したけど。笑
初めてつくる料理は、ワクワクが勝るのに、初めての仕事は怖さが勝る。失敗の捉え方を、すこしずつ、すこしずつ、ほぐしていきたいな。
言葉にすると説明的すぎるなって思う時もある。言葉にすると、軽くなっちゃったり、身体から離れちゃう気がして、ただただ味わいたい時もある。けど、こうやって、感情を言葉にして保存しておきたい時もある。両方の自分がいるんだろうな。
2021年に撮り始めた写真をそえて、このnoteをおしまいにしてみよう。1ヶ月に1度は、写真のnoteをアップしてみようかな。自分を自分で包むために。自分で自分を癒すために。自己否定をしないってのが、今年のテーマ。
写真専用のTwitterアカウント。昨年立ち上げて、ほとんどアップしてなかったけど、ゆるゆると続けていこう〜っと。