ラジオとピックとアコギと自分。
痛いの 痛いの とんでゆけ
久しぶりに、歌声を聞いただけで、涙が出てきた。聴きながら仕事をしようと思った自分が、馬鹿だった...。
なつかしい歌声。眠れない時に、イヤホンで聴きながら、当時はまだMDウォークマンで、布団にもぐりながら、ラジオ番組を録音して、何度も聞いていた歌声。
自分がアコースティックギターに興味を持ったのは、千綿ヒデノリさんの「逢えない夜を越えて」のCDを購入した時に、ギターピックが同封されていて、そこからギターに興味を持った。
高校1年生の3学期の音楽の授業で、なんでも自由に発表してよくて、そのために練習する時間みたいな課題(めっちゃアバウトな説明w)があって、友達と3人で、ゆずの夏色をカバーすることにした。その時に、初めてYAMAHAのギター初心者セットを買った。
カポを知らずにコード譜を眺めていて、切り替わるコードの速さに手が追いつかなくて、友達と二人で、コードを交互に弾いてなんとか完成させるという荒技で、授業は終えた。(4カポの曲なのに、結局カポを知らずにそのまま終えた。苦笑)
そこからギターはほとんど触らなくなっていて、大学に入学して、偶然友達から「フォークソング愛好会の部室行かない?」って誘ってもらって、アコギの世界にまたのめり込んだ。
その友達も、たまたま健康診断の列で前後に並んでいて、LINEを交換したような偶然の繋がりで、その子に誘ってもらわなかったら、たぶんフォークソング愛好会には入ってなかったと思う。
歌声コンプレックスで、自分はずっと伴奏に逃げていた。ハスキーボイスを受け入れられなくて、人前で歌うなんて自分にとってはとても苦痛で。
今でもカラオケに行くなら、ハモる方が好きだし、タンバリンで盛り上がる方が好き。
そんな自分が、人前でアコギ1本で歌うようになるのはこのサークルとの出会いが大きいし、音楽を専攻していた大学で、当時の声楽の先生が自分の歌声を受け入れてくれたからだとも思う。
声帯を調べてごらんって先生に言われて病院に行ったら、声帯が重なる部分が重なってなくて、息が漏れやすいからハスキーボイスで枯れやすいことも、そこで初めて知ることができた。
歌声コンプレックスだったけれど、どこかで歌えるようになりたいって気持ちはあったんだと思う。
だから、声楽の授業と、アコギサークルとの出会いは、自分にとってとてもありがたい出逢いだった。
ラクロス部に入りながら、サークルを掛け持っていたので、全てのイベントに参加できたわけではないけれど、人の陰や闇、ヒカリではない部分に気づけるようになったのは、間違いなくサークルでのできごとが大きい。
クラスでも部活でも、全力投球してきて、いわゆる優等生タイプで、中心的な部分にいることが多かった自分が、全力投球できない関わり方をする中で、輪のハズレを知ることができて、いろいろと見える世界も変わっていた。
例の如く、LIVE配信を聴きながら即興で言葉を紡いでいるので、何を書いてるのか、さまよってきたけれど...苦笑
ひょんなきっかけで、アコースティックギターという存在に出逢えて、人前で歌うという経験を通して、いろんなことを知ることができたなぁと、改めてアコースティックギターに感謝だし、千綿ヒデノリさんに感謝だし、そのラジオを作ってくれていたNACK5の人にも感謝だし...。
ってことを思ったのでした。