井田 勝己 桜井先生のこと
エピソード1
もう40年以上前のこと、私が学生であったときのある年の正月元旦。当時の大学は、今と違っていたってのんびりとしておりオープンな面が多々あり誰でも敷地に入ることができた。
東京造形大学の石彫教室にその年一番乗りをしようと思った私は、元日の朝7時半ごろに石彫室に向かって歩いていた。ところが教室の方から鑿で石を刻むカチン、カチンという音が聞こえるではないか!こんなに早くいったい誰がと思い、気づかれない様に覗いてみると桜井先生が無心で石に対峙されている姿がそこにあった。私は、呆れた。私のような学生ならいざ知らず、この人は奥さんや子供さんがいて、ちゃんと家庭があるはず。元旦にこのような場所に居るはずがない。また、この時間に大学で制作をしようと考えれば、通学時間などを勘案すれば、おそらく6時には自宅を出ないと間に合わないなどと考えてみると、それだけで私はビックリした。と同時に桜井先生の彫刻を制作する情熱の深さをしみじみと感じ、また自身の軽薄さを反省した元旦であった。
エピソード2
自己をどのようにして社会的に評価されるかということに戦々恐々としている作家の多い昨今、桜井先生は、いつも物静かで、穏やかな人であった。決して自分を高く評価してほしいなどといった、下らない自己顕示欲のない人でした。
随分昔のことですが、私が高校の教師をしながら米子彫刻シンポジウムの運営に参加していた頃、市内のある会社から米子市に彫刻を購入して欲しいという趣旨で数百万円の寄付がありました。そこで、米子市側から私の方へ彫刻購入についての相談がありました。その時私の頭に浮かんだのは、桜井先生の作品でした。米子市側に桜井先生のことを理解していただき、また先生からも作品設置に関して快諾していただき私自身ホッとしたことを昨日のことのように覚えています。作品も無事設置完了し、除幕式の時であった。市長から先生に対してセレモニーの中で「一言をお願いします」との発言があり、先生は「このようなことに慣れていないので・・・。」などの発言があり私は、何故もう一寸胸を張って、偉そうにしてもらえないのかと冷や冷やしていたが、如何にも桜井先生らしい反応だと思いシャバ気いっぱいの私自身が恥ずかしくなった。式が終わってから、桜井から、お礼と言われ小さな包みを渡された。中身は娘さんが作られたクッキーであった。そのクッキーを見た私は、桜井先生と御家族の関係が頭に浮かび胸が熱くなりました。
2020.2.19 井田 勝己
写真↑ 「横になる人」2016年8月撮影 米子市立図書館前
米子の海にて
井田さんにお話を伺いに米子へ。その帰りに海に立ち寄り、泳ぐ。水を怖がっていた子供、、、。私が一人で泳いでいる姿に安心感を感じたのか、しばらくしたら足を入れることができた。夏の米子の思い出。
2016年8月6日