置き去りにした心の行く末は…その②
前回の続き
見たくない自分
勇気をだしてカミングアウト
それは
「我が子に暴言を吐くことがやめられない」
からの
その奥にある封印してきた自分
ここに書くのも躊躇われるくらい
人に言えなかったこと
インナーチャイルドに直結してるよね
と言われたらそれまでの話w
まぁ、私の備忘録として
お付き合いくださったら嬉しいです
そもそも私は
「過去の自分を癒す」ということに
違和感を感じていたし
どこか避けていた
というより
アンチ的な思いがあったのかも
幼少期から今日に至るまで
・嫌だったコト
・我慢してきたコト
・仕方なくやってきたコト
・怒られるから封印したコト
そういうものを言語化することにモーレツに抵抗していた
なぜなら私は「イイ子ちゃんでいたい」から
40代半ばにして
何言っちゃってるんだ!?って感じだけどw
これもいつかのセッションで出てきた私の本音だったりする
イイ子ちゃんでいたい私は
過去に嫌だったこと=自分の過去を否定すること
仕方なくやってきたこと=自分の生い立ちを否定すること
我慢や怒られるから封印したこと=自分の両親を否定すること
そんな思い込みがあって
さらには
そういう自分が置き去りにしてきた想い(感情)を
インナーチャイルドといって
それを癒やす必要がある
なんて言われちゃうと
置き去りになっていた自分の想い(感情) 想いを癒す
=元凶をやっつける
=元凶を作った人をやっつける
なんていう
思い込みもあって
そして
その元凶って何かっていったら
・育った成育環境
・幼少期からの親や社会からの擦り込み
だいたいそういうところにたどり着くのだとすると
見たくない自分がムクムク
とか言いながら
別の角度から自分の内面を見ていくと
・お父さんが◯◯だったから
・お母さんが△△だったから
・私がこんな風になったのは、あの時▢▢だったから
なんて無意識に周りを悪者にしている
全然イイ子ちゃんじゃない自分もいたりする
なんなら
絶対あんな風にはならない!
って反面教師にしてたりして…
つまり
環境や両親のせいにしてるくせに
同時に
環境や両親を悪者にすることに抵抗している
どっちが潜在的自分でどっちが顕在的自分かはわからんが
とにかく頭と心がちぐはぐ!!
という状況になっていたというわけです
親を悪者にすることで自分を保ってきた自分
他者を悪者にすることで自分の安心を守ってきた自分
そういう自分がいたのはたしか
でも
他者を悪者にすることで
自分の問題が解決できないことも
うっすらわかっていた
親のせいって思えば
我が子に暴言を吐く私を正当化はできるかもしれないけど
(自分がそういう風に育てられてきたから、とか
そんな言い訳つけたり!?)
正当化したところで
暴言を吐く自分が直るわけではないから
根本的な解決にはなっていない
では
何が根本的な問題なのか…
続きはまた今度♪
ご縁があって
立ち寄ってくださったあなた
ここまで読んでくださりありがとうございました♡
では、また!