加害者の闇---愉快犯をどう捉えるか?
加害者のことを語る時、愉快犯などの「反省のない極悪人」「誰がどう見ても救いようのない悪い人」をどう捉えるか、非常に難しいところです。
とても難しい話題ですが、私はどう考えるかという話から、神様と人間、善と悪、といった話にまで及びました。
私の人生観に大きく影響している、大好きな小説もご紹介しています。
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闇の美しさを歌う作曲家 星園祐子です。
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愉快犯は地獄に落ちるしかないのか?
ちょっと前に「加害者」も苦しいよねって記事を書いて、意外と反響が大きかったんだけど、
昔の私みたいに、どうしても止められなくて自分を責めながら苦しんでいる人は、「まだ」理解されやすいかもしれない。
でも、愉快犯(誰でもいいから殺してみたかった〜えへへ、みたいな人)のことは、どうだろう?
記憶に新しいのは、登戸の児童連続殺傷事件とか。
愉快犯とは違うけど、重度障害者19人を殺害した「やまゆり園」の事件とか。
子供に熱湯かけてゲラゲラ笑ってる親とかね。
こういう人は、地獄に落ちるしかないのかな?
↑善光寺の閻魔様。この前お参りしてきたよ。
愉快犯だってやはり苦しいのではないか
わたし、こういう人たちも、やっぱり苦しいと思うんだ。
「大きくなったら愉快犯になろうっと♪」って人はいなかったと思うし、
「愉快犯やばいすっげ〜〜〜楽しい♪」って心から楽しんでる人もいなくて、
やっぱりどこかで苦しみをかかえてそうなっちゃったってことなんだろうなあって思う。
肩こりなんかも、最初はつらいけど、だんだんと麻痺して感じなくなるよね。
そんな感覚なんじゃないかなあ。麻痺。
もしくは、苦し過ぎて「犯罪を楽しむ」ということでしか自分を救えなかったとか。。。
長年に渡って”ボディーブロー攻撃”を受け続け、歪んだ価値観・人生観が形成されてしまったケースとか(やまゆり園みたいな)。
ここは私も経験ないから想像でしかないんだけど。
(”ボディーブロー攻撃”についてはこちらの記事を参照)
「攻撃性」とか「残虐性」とかいうものは、人間誰しも必ず普通に持っているもので(例:子供の時にありんこ潰して遊んだりとかする)、
普通の大人はそれを闇にしまってなかったことにしてるんだけど(それはそれで問題を引き起こすんだけど)、
愉快犯のような人は、何らかの要因が重なってそれが強く前面に出過ぎてしまって、自分でも止められず、麻痺してしまっている状態なのではないか。
それは自覚があろうとなかろうと、この社会で生きる以上やはり苦しいことなのではないか、というのが基本的な考えです。
自分が当事者でも同じことが言えるか?
でもね。自分が当事者だったとして(子供を愉快犯に殺されたとか)、その人の全てを受け止めて抱きしめられるかと言われたら、
私はできません。
ぜーーーったいできません。無理無理。
無理して許す必要もない。憎いもんは憎い。
だってそれが人間だから。
長〜〜〜い年月をかけていろんな経験の末に、「あの経験があって本当〜によかった」と心底(←重要)思えることは、もしかしたーらあるのかもしれない。
そしたらその時に許せばいい。(多分自然に許してしまうし、むしろ感謝に変わるかもしれない)
でもそうじゃない限り、なぜそうなったのか「理解」することはできても、許すなんて無理だよね。
「この出来事は悪だったけど、見る方向を変えれば善です」なんて絶対言えない。悪は悪だよ!!って思う。
(当事者でもないのに「あいつは悪い!」とか怒ってるのは、またちょっと違うと思うが。必要ないし、何か別のところに要因があるんだと思う)
私が考える「神様の愛」
でもね、神様は違うと思うんだ。
神様は、そんな人たちすらも、いや、そんな人たちこそ、優しく抱きしめて涙拭いてあげてると思う。
苦しかったねって。
それが、神様の愛。
だと私は思ってる。私は。人間の愛とはまったく次元が違うもの。
神様の愛の方が良くて、人間もそれと同じになるべきとも思わない。
神様の愛がよかったのなら、神様のままでいればよかったんだ(私は、みんなもともと神様の一部で、そこからわざわざ離れて肉体を持ち、神様とは違う経験をするために生まれてきたと思っているので)
人間である以上、善と悪という概念は絶対なくならないし、絶対にひとつにならないし、それでいいと私は思っています。
善と悪、人間と神様
善は善、悪は悪で、悪をゆるせなくてもいいし、
悪と思っていたことが後々巡り巡って善になった、ということももちろんあるだろうし、
同時に善でもあり悪でもありということもあるだろうし、
善80%+悪20%みたいなものもあるだろうし、いろいろだよね。
でも人間には悪100%にしか見えないこともやっぱりある。
時間をかけて意味づけができて悪100%が善に変わることもあるのかもしれないけど、
悪いものは悪い。憎いものは憎い。
それが人間。だから人間。
神様になる必要はない。
神様は善も悪もない。意味付けもいらない。
ただ愛がある。どんな極悪人だろうと。むしろ極悪人ほど。
その違いがあるこそ、神様の愛に触れた時の感動が格別なのではないだろうか。
そんな神様の愛が描かれた小説
ちなみに、そういう神様の愛が描かれている、大好きな小説がこちら。
遠藤周作「悲しみの歌」
「海と毒薬」という有名な本の続編なんだけど、私はこっちの方が好き。
細かい内容はネタバレになるので書かないけど(別記事で今度書くかも?)
とりあえずAmazonの解説から
(ここから)
米兵捕虜の生体解剖事件で戦犯となった過去を持つ中年の開業医と、正義の旗印をかかげて彼を追いつめる若い新聞記者。表と裏のまったく違うエセ文化人や、無気力なぐうたら学生。そして、愛することしか知らない無類のお人好しガストン……華やかな大都会、東京新宿で人々は輪舞のようにからみ合う。
――人間の弱さと悲しみを見つめ、荒涼とした現代に優しく生きるとは何かを問う。
(ここまで)
もうね、最後にガストン(ひたすらお人好しでカッコ悪いフランス人) が言うセリフで
涙 腺 崩 壊 💧
最初に読んだのは、高校生の時ぐらいだったかなあ。大学かな?
小説を読んで泣いたのは初めてだった気がする。
それまでの人生観が大きく変わった一冊でした。
思えば、その頃からやはり「加害者」の苦しみを描いた話に惹かれていたんだなあ。。。
ぜひ読んでみてください!!!
(ご要望があれば、あらすじと星園視点の解説記事を書きます)
今日も最後までお読み頂いてありがとうございました!
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🦋YouTube番組《美しき闇の扉》
毎週火曜日21:00〜 生放送(YouTubeライブ)
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🦋星園祐子公式ホームページ