今香港にいて感じていること②
香港の歴史を学び直して得た知識と、この地で実際に過ごし肌で感じてきたことを摺り合わせることで、ようやく長年の問いに自分なりの答えを見つけることができた。
その問いとは、なぜ私はこれほどまでに香港に魅せられてきたのか?である。
多くの人がそうであるように、私が香港に来て真っ先に感じたのは、“自由”だった。日本と同じ民主主義、資本主義ではあるが、なんとなく異なる種類の“自由”を感じた。(後半は半民主主義になったが)
初めは、お金があるゆえのゆとりから表れるものかと思っていたが、どうやらそうではなかった。
その自由の正体とは、英国、中国という強権の支配の下で与えられてきた“自由”という点が味噌だった。
歴史を振り返ると、この国で享受できる自由は、時代を経るにつれて形を変えている。
大陸から逃れてきた人たちが、貧しかろうがこの地で“生きる自由”であり、イギリス統治による資本主義の下で“稼ぐ自由”であり、そして衣食住が整ったあとの、中国の伝統的な文化と他国の文化の融合によって生まれた“文化の自由”である。私が香港に感じてきたのは、この独特の歴史あってゆえの自由だった。
そして、香港の人たちがデモを起こし声高に叫んできたのは、「自己決定の自由」だ。
しかし国安法が施行された今、この自由は程遠いものになってしまった。
自由に並行して、香港でローカルの人たちと多く接する中で感じたのが、ここで住む人たちの自立した雰囲気。
私にそう感じさせる正体は、なんなのか?なぜ自立しているのか?
歴史を追うことで見えてきたのは、彼ら彼女らの生活は、生きるも死ぬも、稼ぐも稼がないも自由という厳しい競争社会、常に危機感と隣り合わせの生活から始まったものであるということだ。
はじまりがそうだったゆえに、“自分の未来は自分で守るしかない”という危機感は日々の生活に根付き、その危機感こそがこの地で生き抜くための一つの生きる姿勢となった、というのが私の答え。
自立と危機感はセットだ。
時代を経て変化を遂げながら、この地に根付いた、“自由”と“自立”。
この2つこそが、香港をエネルギッシュにし成功させてきた根元であり、私を魅了し続けた正体だ。
歴史を紐解くと、私が惹かれた薬食同源文化が、この土地で現代まで引き継がれてきたのかという問いまで、ついでに解けてしまうのが面白い。
それこそ、またまた“危機感”がキーワードになる。
危機感イコール、「自分のことは自分で、家族のことは家族で守りあうしかない」という思い。
そのためにできるファーストステップは、食べることを大事にする。
香港には、週末になると親戚一同が集まり食事を共にする習慣がある。これは、その昔、大陸から逃れてきた人たちにとって、頼りにしたり情報を交換し合えるのが家族親戚だけであったという時代の名残りだと言える。
香港人の家族の絆は、厳しい歴史の中で培われてきたものだった。
自分でも予想していなかったのだが、この土地の歴史を深く知ることで、今の日本でなぜ薬膳が受け入れられるのかという問いに対する本質的な答え、薬膳を学ぼうとする人の本質的な望みまで見えてきた。
これは、薬膳を真剣に学んできた私自身が、いったい本質的に何を求めていたのか、という問いに対する答えでもある。
おかげで、自分のゴールが分かった。
それは、“健康な身体と心”というような単純なものではない。
自分で問いを立て、自分の頭で考えて見つけた答え。
この点については、別の機会に改めて書こうと思う。
香港は、自由だから、危機感ゆえの自立の精神があるからこそ発展してきた。自由がなくなれば、この地に同じ発展はない。そんなことすら理解できていないあの国は本当に愚かだ。
今となっては、こんな風に批判する発言をすることさえリスキーだというあり得ない事実。ヘタレな私にはハッシュタグをつける勇気は無い。
こんな苦境に立たされても、皮肉たっぷりのユーモアを忘れない香港の人の逞しさには頭が下がる。笑っていれば、人生は回る、か。
希望をもってこの地を捨てず、逞しく笑って生きる人たちを心底応援している。私もそんな風に生きていきたい。