つまらない状況は誰のせい? その場に自分を含める人こそ「非構成」を楽しめる
私は月に1度、円坐という非構成の場を開いています。 非構成とは、テーマや話す方法などを主催者、ファシリテーターが一切指示をせず、コンテンツそのものが何もない (=構成がない) 場のこと。
普段、他で良く行なっているワークショップはプログラムデザインを私が考えて実施する「構成」の場なのですが、それと180度異なる、いわゆるファシリテーションもない場が円坐です。
集まって、ただ座布団に座り、時間が区切られているだけ。(別に座らなくてもいいし)
それだけの場です
けど、毎回それがめちゃくちゃ楽しい。
ずっと沈黙して時間が過ぎることもあるし、急に堰を切ったように話が止まらないこともある、煮え切らない時間が続くこともあるし、つまんないと感じる瞬間だってある。
テーマなし、主催者も進行、ファシリテートしない (開始と終了は伝えます)、目的もない場ですと言われたら、あなたならどう、その場にいるでしょうか。
非構成は、楽しめる人と、そうでない人がいると思います。私自身、初めて非構成の場に参加した時は、今ほど面白さが分かっていなかったので、戸惑ったり、「うーん、あれは何だったんだろう…」と終わってから考え込んだりしました。
ただ、主催するようになって4年目。今では自分にとって大切な時間の1つです。「非構成の場が違和感がある、苦手、嫌い」なんでも良いのですが、楽しめない人は、「主催者が参加者の満足度に貢献すべき」と考えている場合があると思っています。(もちろん、全員じゃないですよ!)
例えば、その場で「ずっと沈黙が続いて、正直飽きてきた、つまらないと思っている、誰かが話す内容も面白くない」とき、あなたならどうしますか?
「・・・つまんない。正直、こんな時間過ごすために来たんじゃないんだけど・・・」
と思いますか?
それとも、
「・・・つまんないなぁ。この状況を楽しい時間に変えるために、今自分に何ができるかな??」
「・・・お!今、自分はつまらないと感じてるな。自分は沈黙が続く状況をつまらないと感じるんだな、ウンウン」
などと考えるでしょうか。
円坐のような、非構成の場を楽しめるのは言わずもがな、後者の考え方をする人です。
その場がつまらないって、
その人のせいでもあるからね
参加者としてその場にいる以上、その「つまらなさ」にしっかり貢献しているはずなのに、
・つまらないのは、周りのせい
・つまらないのは、主催者、ファシリテーターが何とかしないのがいけない
・このつまらなさ、「誰かなんとかして!」
と思っている人。
こういう人にとっては円坐は、時にしんどいかもしれないし、つまらないかもしれないです。 だって、主催である私たちも「楽しく盛り上げよう!」と思ってないですから。( &円坐では主催者が「安心安全の場作りをします」とも言ってないですし )
でも、後者のように「つまらない状況を打破するための自分の使い方」を探求する人や、「つまらないと感じる自分自身」を観察する人にとっては、円坐は毎回、毎回が未知の自分との出会いとなる時間になるでしょう。
この状況、つまんないなぁと感じた時、つまらない状況を何もできない自分でそのまま生きてく気ですか?
私は、自分でどうにかできる関わりをたくさん探求している人生の方がいいし、どんな状況をどう感じる自分として生きているかはたくさん知りたい。
目的なし、テーマなし、何も与えられない場で、あなたならどう自分を感じ、その場でどう自分自身を使いますか。
関心を持ってくださった方はぜひ、足をお運びください。心よりお待ちしています!
寝待月の円坐 今後の開催スケジュール
◇ 10月29日(火) 19:00〜22:00
◇ 11月19日(火) 19:00〜22:00
◇ 12月13日(金) 19:00〜22:00