見出し画像

リスボンに和食店Tasca Komeをオープンさせた話 

ヨーロッパの最西端、ポルトガルのリスボンに住み始めて約20年。

8年前の春、リスボンの中心地、バイシャ地区に日本食料理店、Tasca Kome(タシュカ・コメ)をオープンさせた。

コンセプトは、日本の食堂や居酒屋で食べれるような、ホッとする毎日のご飯。日本から遠く離れたこの地でも、ここにいる間だけは日本に帰ったような気持ちになるご飯

オープン当時は私も含めて6人ほどだったスタッフも、繁盛するにつれて、多いときは11−12人まで増えた。地元の人たちにも愛され、週に何回も食べにきてくれる人や、同じヨーロッパに住んでいる日本人が旅行でポルトガルに来た際に、連日美味しい日本食を求めて通ってくれる店になった。

スタッフは国際色豊かで、厨房は私の他は日本人の料理長、そしてウクライナ人の料理人、ホールは日本人以外にブラジル人もたくさん。お客さんのほとんどはポルトガル人だけど、なぜかスタッフのポルトガル人はすぐに辞めてしまったりして、断然少なかった。

地元民の他に、飲食店のオーナーという、同業者のお客さんがなぜがとても多かった。だから自然と仲良くなり、お互いの状況を話し合ったり、私たちがそちらの店に食べに行ったり、横の繋がりもずいん分できたなと思う。

バイシャ地区は、観光客が多く、リスボンでも一番センターに位置しているけれども、メインの通り以外は少し廃れた雰囲気があり、観光客向けのレストランばかりであまり地元民が行くような気のいい食堂なんかはない。
ちょうど店を持とうと物件を探していた私と夫は、いろいろな物件を見て回っている時期で、その時偶然私たちの友人が、この物件が貸しに出たことを知り、連絡してくれたのだ。

フランス人の大家さんと幾度も契約書の内容を交渉し、やっと契約書にサインした。私たちの前は、この物件はフランス人の女性(リスボンはフランス人がとても多い!)が経営していたお洒落なブーランジェリー、パン屋兼カフェだった。でもこのフランス人の女性は家賃を踏み倒して夜逃げしてしまったのだそう。そのトラウマもあって、大家さんは私たちと慎重な契約を交わした。日本食が好きだったということも、私たちを選んでくれたキッカケになったのだろう。

このような成り行きで、約2ヶ月の準備期間を経て、2014年4月8日にTasca Komeをオープンさせた!

tasca komeのロゴ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?