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自分にはあって、他の人にはないもので勝負しよう
私が(特に、アメリカで)アスレティックトレーナーとしてキャリアを積んでいこうと思い至らなかった大きな理由の一つに、「この仕事、フィジカル的に私より向いてる人が多そう」とよく感じていたということがある。
2年目の秋にアイビーリーグに所属する大学フットボールチームで実習をしていたとき、ほぼいつも「この場にいる人間の中で、自分が一番小さい」という状況だった。
アメリカ人は女性でも体格がいい人が多い。平均身長が日本人より高めなのはもちろん、小柄でもがっしりしている。鍛えてる人が多いというのもあるだろうけど、私の肌感ではやっぱり「骨格から違うな」って感じがした。
学生なので一番下っ端だったのもあるけど、アスレティックトレーナーには力仕事が多い。10ガロンの水、いろんなものが入ってる重いバッグ、ストレッチをするときの選手の脚など。重いものを持ったり運んだりすることばかりだった。
それがすごく嫌というわけではなかったけど、なんというか、それを私がやるのはすごく効率が悪いのではないかと思っていた。もっと楽にそれらのタスクをこなせる人はこの場に大勢いるのに、私がアスレティックトレーナーの役割を選んでしまっているがために、それを私が担当することになる。
それってすごく無駄ではないか??とよく思っていた。
もちろん、私と同じくらいの身長の方で、NFLで活躍していた日本人の女性アスレティックトレーナーが存在するのも知っている。
だから体格が全てではないのは重々承知だけど、私にはそのフィジカルのハンデをものにしないくらい「この仕事がやりたい」みたいな熱意や理由もあまりなかった。
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この「体格や重いものを運ぶ云々」の話は、あくまで例の一つに過ぎない。
そんなこと言ってないで鍛えろとか、ここで言いたいのはそういう話ではない(フィジカルが強くないのは私も気にしていたので、それ以来少しでも強くなれるようにジムで筋トレするようになった)。
要は、自分があまり得意でないことを、周りはそこまで苦に思わずできてしまうような環境で、無理して戦う必要はないということだ。
そうではなく、他の人はあまり得意でないけど自分は得意なこと。
自分だから楽しく、人よりうまくやれること。
志が高いならなおさら、妥協せずそういうことをちゃんと意識した方がいいと私は思う。
多くの仕事は「勝ち負け」だけでは語れないが、基本的にはお金とサービス/商品の等価交換なので、資本主義社会においては、より価格が安く品質もよい競合があれば、自然とそちらが選ばれるようになってしまう。
だから、「だって私もこれがやりたいから」とかだけじゃなくて、得意不得意を考慮して無理なく社会に貢献したほうが自分もハッピーだし、社会資源という観点からみてもより効率的に労働力を活用できているといえるのではないだろうか。
そういう考えもあって、今は自分の弱点を無理やり補って合わせるというよりは、すでにある長所により磨きをかけられるような仕事を意識的に選ぶようにしている。
若い頃は、選り好みせずとりあえずやるべきことはなんでも頑張ることに意味はあると思う。最初はたとえ苦手でも、乗り越えるべき困難は確実にある。ネイティブじゃないからアメリカ人より英語が流暢でないのは仕方ないけど、だからといって諦めるのではなく、別の部分で価値を示すことで他より優れた存在意義を証明できるはずだ。
ただしある程度の年齢になったら、義務教育みたいに"全教科で90点以上を目指す"必要もないと思ってる。
特に好きでも心からやりたいわけでもないことに無理して貴重な命を費やすくらいなら、たとえささやかでも誰にも負けない情熱を持てること、自分だけの心の炎に燃料を注ぎ込め。と私は思う。
人と比べて劣等感を感じてしまうようなことなんかもう見てなくていいから、「自分が目指す星」の輝きを信じて行動するほうがよっぽどいい。