人生の大部分を占める「仕事の時間」が充実していれば、幸せ確定だと思ってた
これは、正社員で働いていたときに抱えていた私の大きな葛藤だった。
独立した理由はいろいろあるが、この「違和感」は間違いなく無視できないものの一つだった。
クリニックで働くのは前職が初めてだった。
それまでは病棟看護師だったので、いわゆる"カレンダー通り"に働いたことがなかった。たとえ世間は連休でも、入院患者さんがいる限り病棟は年中無休で、GWもお正月も関係なく月に4〜5回は夜勤をしていた。
私にとっては、平日に連休があるのも、土日祝だろうが普通に出勤できるのも、ずっと当たり前だった。
クリニックに転職してからは、夜勤をしなくていい代わりに週に5日出勤するのが当たり前になった(いや、多くの仕事はそれが当たり前ですよね)。職場自体が日曜祝日は休みだったので、週に2日ある週休のうち1日は、強制的に日曜日に固定された。
日祝に休みをもらっても、出かけようにもどこも混んでるし、平日しか行けない予定は入れられない。カレンダー通りの生活リズムに慣れている人にとっては当たり前すぎて「何言ってんだこいつ」って思うかもしれないけど、私にとってはかなりストレスだった。
1日だけの休みなんて、買い物をしたり用事を済ますだけで一瞬で終わってしまう。もし2日続けて自分の時間を確保したいとなると、人数が少ないので同僚に許可をもらって有給を取るか、月曜に祝日がある月を心待ちにするしかなかった。すごく不自由だと思った。自分の人生の時間なのに、思うように調整できないのがとても苦しかった。
また個人的な話だが、当時は副業も頑張っていた。
私は整形外科で看護師をするのはすごく好きだけど、医療機関の仕事だけでは自分の持っているスキルや興味・関心を十分には活かしきれないと感じていたからだ。
私がやりたいことをこの職場でできないのは、看護師として医療機関に雇用されている以上、仕方ないと思っていた。勤務先には関係ない。だから自分で責任を持って、やりたい活動をできるように頑張った。
その前に働いていた病院はオフィシャルに副業禁止だったが(だから転職したのもある)、前職のクリニックでは院長が理解のある人で、本業に支障がなければ副業をしてもかまわないという考えだった。
そのため、私はクリニックへの転職と同時期に個人で少しずつお仕事を受け始め、堂々と開業届を出して青色申告の事業者になっていた。
週に5日、9時間の拘束時間+往復2時間の通勤と、副業。
とてもやりがいがあったし、毎日成長も感じていた。自信もついた。
おかげさまでそれまで以上に金銭的にも余裕ができたし、目指す方向性としても間違っていないと思っていた。
だけど、どんどん精神的につらくなっていった。
いつも気持ちに余裕がなく、周囲に寛大になれない自分が嫌だった。
気づけば楽しいことや嬉しいことより、「やらなければいけないこと」に心が埋め尽くされていった。
仕事に直結しないタイプのやりたいことは、どんどん後回しになっていった。ずっとこのまま進んでいくと、いつか自分は何がやりたかったのかわからなくなりそうだった。
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いつも通る主要駅には、面白そうな展示やイベントのポスターがたくさん貼ってあって、積極的に探そうとしなくても常に行きたいところや見たいものがいっぱいあった。
「今度時間ができたら、ここに行ってみよう」
そう思っているうちに、どんどん同じ場所の掲示物は次の企画のポスターに変わっていった。桜のイベントに行こうと思っていたのにいつの間にか花火の写真に変わっていて、通るたびにこのハロウィンのデザインがかわいいな〜と思っていたら、気づいたときにはもう次の年の干支が描かれていた。
普通に過ごしていても、「ゆっくりできる休みの日」なんて永遠にやってこなかった。
そもそも、20代前半で最初の病院を辞めてアメリカの大学院に行こうと決めたのはなぜだったか。
それは、「人生の大部分を占める『仕事をしている時間』を灰色の気持ちで過ごして、これからずっと『次の休み』を心待ちにして生きていくのは嫌だ」と強く思ったからだ。
それなのに、今の自分はどうだろうか。
「次の休みまであと⚪︎日」、「来月は祝日があるからよかった」・・・
仕事のやりがいも存分に感じるので、あの頃ほど「仕事をしている時間が灰色の気分」ということはさすがにないけど、それでも「次の休み」をとにかく心待ちにして、それを生きがいみたいに感じて過ごしているのはなぜだろう。
こうして書けばそんなの当たり前じゃんと思うかもしれないけど、「期間もそれなりにあったのに、行きたい展示に行けなかった」「気づいたら観たいと思っていた映画の上映がいつの間にか終わっていた」、こんなことが何ヶ月も続いて、それが本当に絶望的に感じて、ようやくそれらが実は私の人生にとってすごく重要なことだったんだと気がついた。
もし今、時間もお金も場所も気にせずに、「何でも好きなことして過ごしていいよ!」って言われたら、何をしたいか?
私は、「作品」をいっぱい観たい。
映画でも漫画でも、アートでも音楽でも、ジャンル問わず、素敵なものをいっぱい味わいたい。
「仕事なんかせずに、ずっと遊んで暮らしていたい」というのとは違う。根本的に違う。もしそうだとしたら、こんなにいろいろ勉強したり、講座や書籍に投資したり、新しい仕事を開拓したりしない。
知識や技術を磨いて、それを世の中のために活用したい。
消費するだけではなく、社会に少しでもなんらかの価値を提供したい。
こういう感覚は、社会人になってからずっと変わらない。
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今は、自分なりに仕事のスタイルを再構築している途中だ。
しっかり好きなものを味わい、いろいろなものに感動し、たくさんの新しい経験をし、視野を広げ、知識と技術を磨き、自分が提供するものの価値をより高める。それらをぐるぐるうまく循環させて、ずっと変化を楽しみながら年を取っていきたい。
何かを体験することも単なる個人的な消費で終わらせるのではなく、豊かな生産活動の土壌にしたい。
これはある意味、私の夢である。そう認識してから、興味がある"作品"は、積極的にどんどん楽しむように心がけて過ごしている。
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これまでの経験はその一つひとつに大きな意味があった。そのどれが欠けても今の自分はなかった。その時々でのご縁を大切にし、ベストな選択肢を選んできたと思う。だからもっと違う仕事を選べばよかったとか、そういう後悔はない。
正社員を辞めたのは、仕事が嫌になったわけでも、やる気がなくなったわけでもない。むしろその逆で、より純度高く、仕事にも生活にも等しく全力で向き合う人生にしたいと思ったからだ。
すでに世の中に存在するポジションや一般的な雇用形態のレールに乗っていれば、会社が社会保険を一部負担してくれて、福利厚生もあって、収入も安定していて、能動的に何かを考えたり変えたりしなくてもやるべき仕事が与えられてやっていけるけど、
そのかわり自分の持ち味を120%活かせる機会を見つけたり、1週間の時間の使い方の主導権を握ったりすることは決してできないのだとわかった。会社は個人のために存在しているわけではないからだ。
人生にはいろんな流れがある。
何を一番大事にしたいかは、同じ人でもライフステージによって変わっていくのが普通だと思う。
「このままやっていくのも無理じゃないけど、自分の望む方向性とちょっとズレてきたかも」と感じたときは、少し軌道修正するいいタイミングなのかもしれない。