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きっかけ〜ミスドのお弁当箱〜

昔ミスドでもらったお弁当箱。
蓋を開けると、真ん中に厚紙と養生テープできれいに仕切りが作られている。
500円玉100円玉と、50円玉と10円玉に分けられて入っている。馴染みのある字で書かれたメモ用紙が一枚。それら硬貨の枚数が記されている。


ミスドでもらったお弁当箱。
昔ミスドでドーナツを買うと、コインで削るポイントカードがあった。何ポイントか集めると誰でも貰えるお弁当箱。
あのキャラクターなんて言ったっけ?子どもの顔のイラスト。使い込んで色褪せてしまっているけれど、うっすらそのイラストは残っている。

そのお弁当箱にいっぱいの小銭は、
タクシーのおつり用。



父が亡くなって13年経った。
父はタクシードライバーだった。

入院する直前まで働いていた父の遺品と言うのか。
亡くなって数ヶ月経った頃、母が私の家に持ってきた。
初めて見た私の知らない父の仕事道具だった。蓋を開くと、閉じ込められていた父の働く気力のようなものがまだ存在している気がして、それが溢れ出てくると同時に父にとても会いたくなり、苦しくなった。

うちのリビングの大きめの棚。
母子手帳や子どもの写真、古い家計簿やらが入っている棚の、普段触らない一番奥にしまい込んだ。
封印したとも言える。

以来、13年間開くことはできずにいた。

存在を忘れたことはない。その存在を近くに感じていたいから、リビングの棚にしまったのだ。
棚の奥の暗い場所は、見えないけれどスポットライトが当たったように、私には見えていた。
いつもそこにある。その存在を感じていた。


それを、最近ようやく開くことができた。
お金は世の中を巡り巡っていくもので、一箇所に停滞していてはいけない。だから、お弁当箱の中のお金は世の中の物であって父の物にしていてはいけないんだと、やっと気づいた。

食事とかに使っちゃおう!ということではなく、
ブックマルシェの出店に誘ってもらえた時点で、私はこの機会を待っていたのだと、この機会にしかあの蓋を開けられないと気づいた。
おつり用に、使う。
世の中に還す日がやっと来た。

こんなことを書くと、そのお金に変に重みを感じてしまうかもしれないけれど、ただの硬貨に違いない。
いろんな人の手を介して、今私の手元にある硬貨と全く同じ。そう、財布の中にある硬貨だっていろんな人の気持ちが入っているはずだ。

今、気分はとっても晴れ晴れとしている。



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