全き人の『好き力』No.2【お〜い!渋沢さーん!】

全き人の『好き力』No.2
【お〜い!渋沢さーん!】

渋沢栄一という人の偉業をあまりよく知らずに生きてきてしまった私は、
動画で紹介されてたのをキッカケに、
渋沢栄一氏の『論語と算盤』の現代語訳を読んでみたんだけど‥

最初から感動し、
メモを録り録り読んでいたら、
あまりにメモを録り過ぎて、おまけにその凄い想いと行動に、私の思想も妄想もイチイチ広がってしまってちっとも本が先に進まず、

しかも途中からは、その国家への想いの深さに
オンナの私はあまり興味が湧かず、
眠さと内容の入らなさと葛藤し葛藤しで、
これまたなかなか進まず、

しかしさすがの渋沢さん!
後半のその人物と哲学のまとめに入ってきて、

自分1人の利益を追求せず、
あくまで国家、国民全ての利益と循環を想うその思想哲学が、
戦後三大財閥を築いた岩崎弥太郎氏などと思想を絶ち分け、私心なき活動に徹したその生き様に、

私も『やっぱり凄過ぎる渋沢さん!』と
私の眠気も払拭されつつ本のページも薄くなって、
トンネルの出口が見えてきたように、
目の前も晴れやかに、

私の中の渋沢道場のクライマックスを迎えつつあったラスト。

少し本の文字も小さくなりながら、
【私生活と晩年】
華々しい活動、そして素晴らしいその思想哲学、確実な日本の資本主義の礎の1人となった渋沢氏の後継、孫の敬三氏の回顧録に。

我らが渋沢氏(師)が最初の妻の千代さんを43歳で亡くしてから、後添の兼子さんとの間に四男三女を授かっているのですが、
時代も含め、お妾さんをたくさんお持ちになっていたそうで、
その子供は30人を超えていたと!

ぬぉ〜!渋沢さーん!

しかも、最後に子供を儲けたのが、齢80歳をゆうに超えてからという、違う意味でも超偉人っぷり!

後継孫の敬三氏曰く、
『八十歳までの祖父は随分と人間的でした。
80を超えても渋沢しの人間的物欲は素晴らしく   お昼にはよく二人で穴子の天ぷらを平らげた祖父でした!』との胃腸までレジェンドぶり!

うーん、さすが渋沢さんに見込まれた後継の敬三氏。
その祖父を
『人間的』とはその表現、粋過ぎます!
そして本当に『人間的』な渋沢さん!

その女性関係も、
やはり哲人『渋沢栄一氏』も、我々と同じ人間であったかと、何だか妙な楽しい親近感を勝手に持ってしまいました。

その人並み外れたパワーとエネルギー!


日本をこれだけ底上げし、今の日本の基礎を築いてこられた、
今の日本に暮らす恩恵を受けまくっている私達の日本国民の恩師と言っても良いほどの渋沢氏が、
家庭においては、
家庭を、家族を、奥様や子供へは、
果たして幸せにしてくれる理想の旦那様、理想の父親であったかどうかと思うと、 
やはり人間は、全てバランスだなぁとつくづく思う。

よく対象にされる、
同じ時代を生き抜き、
日本三大財閥の三菱財閥を築きあげた
岩崎弥太郎氏の、
その没年後の子孫の活躍の素晴らしさ、
弥太郎氏の母美和さんが残し、
語り守られていった家訓がこちら。

一、人は天の道にそむかないこと。
二、子に苦労をかけないこと。
三、他人の中傷で心を動かさないこと。
四、一家を大切に守ること。
五、無病の時に油断しないこと。
六、貧しい時のことを忘れないこと。
七、常に忍耐の心を失わないこと。
家訓、家族を大切にし、側からは『金儲け主義』の批判も浴びながらもその一家の、財閥の基盤をしっかり築き上げ守り抜いた岩崎氏、


そして、
家庭よりも、世の為人の為日本国の将来の為と、 
周りに、日本を担う人財の育成に尽力し、周りから称賛される渋沢氏が、
自身の子供の教育では苦労が絶えなかったという!お決まり的な人生バランス!

やはり人生は、この世は、全てバランスなのだなぁと、
その偉業や生き方を通して、
大胆にカッコよく楽しく見せてくれているようです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?