小倉百人一首で遊ぶ 83番歌
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
皇太后宮大夫俊成(1114~1204)
出典『千載集』
生きる辛さや悲しさからは逃れなれない。思いつめて山奥に足を踏み入れても、鹿が悲しげに鳴くだけだ。
生きることはかくも辛いことばかり。ですかね。
皇太后宮大夫俊成は藤原俊成のことで、百人一首の選者、藤原定家の父親です。後白河上皇の命を受けて、『千載集』を編纂しました。歌論書『古来風体抄』や家集『長秋詠藻』などを著し、平安末期の歌壇の第一人者で、指導者的な立場にあったといわれています。
83番歌は詞書に「述懐百首歌よみ侍ける時、鹿の歌とてよめる」とあります。述懐百首歌をよんだ時、「鹿の歌」といってよんだ歌。ということですね。
この歌は作者が20代の頃の作品といわれています。20代で生きることがつらくてたまらないなんて、いったい何があったんでしょう。
皇太后宮大夫俊成こと藤原俊成が生きていた平安末期は、末法思想が広く信じられていました。
末法思想をざっくり説明すると、釈迦滅後の時代を、順に「正法」、「像法」、そして「末法」の3つに区分する仏教史観です。末法になると釈迦の教えだけが残り、修行も悟りも得られなくなるとされます。
私は無宗教なので、末法思想のどこがそんなに怖いのかよくわからないのですが、当時、仏教を信仰していた平安の人たちにとって、「末法」はとても怖い世の中だったようです。
当時、藤原俊成の周りは出家をする人が相次ぎ、その中には有名歌人の西行もいました。身近な人たちが次々と出家をしていく中で、藤原俊成も自分の人生と世の中の先行きに不安を感じてたのでしょうか。
鹿の声といえば、5番歌の
奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき
を思い出します。
鹿の声は悲しく聞こえる。83番歌の鹿の声も、相当悲しく聞こえていたのかもしれません。
生きることは辛い。確かにそんな側面はあります。ポジティブ思考がよしとされる現代では、あまり表に出さない側面かもしれませんが、つらいと知っているからこそあえてポジティブでいようとしている、と感じることもあります。
だからこそ、小さな優しさやひと時の感動が、心にしみるのだとも思います。
いろんなことを迷って、間違えて、失敗して。
落ち込んで、嘆いて、大泣きして。
それでも、誰かとの何でもない会話とか、値引きのケーキとか、限定味のコーヒーとかで幸せになれたりする。
辛さをなくすことはできなくても、何とかやり過ごす術を人は持っていたりする。
鹿が悲しく鳴く山は、栗やキノコがいっぱいの恵みの山だったかもしれません。
辛さを知る心は、とても豊かだと思うのです。
座布団で喉ならしたる三毛猫の生涯こそが百点だったり
侑子