今 失いたくないものは何ですか?
今 これだけは失いたくないものをあげるとしたら あなたは何ですか。
年を重ねるに連れて できなくなっていくこと、今まで可能だったことがだんだんできなくなっていく寂しさがあります。趣味だったスポーツも 続けることができなくなることだってあります。
体力の衰えを感じて 辞めなければならなくなった事もあるでしょう。
今までの趣味に代わって 何か新しい楽しみを見つけられたらいいのですが 新しいことが見つかったとしても それもずっと続けることができるかどうかは わかりません。
年齢を重ねるということは いろいろなことができなくなっていくのです。
せっかく新たに始めたことだとしても それをずっと続けていけるかどうかはわかりません。考え方によっては 短い期間であっても 趣味を その都度変えていくというやり方もあるかもしれません。それはそれで 良いと思います。
私の場合は 車の運転ができなくなったことが 一番悲しいことでした。
自分では まだ運転はできると思っていたのですが 病のためにドクターストップがかかりました。
ちょっとくらいならば運転してもいいかなと思ったときもありましたが 車の運転というのは 自分だけの問題ではなく 他人に迷惑をかけることも多くあるので 諦めることにしました。
私の場合は 車の運転ができなくなっても 幸いにして 仕事でも家庭においても 何人も運転してくれる人が そばにいたから 自分が運転しなくても大丈夫だった環境だったのです。しかし 自分独りで 思い立った時に すぐに運転ができないっていうことは やはり淋しいものでした。私は高校を卒業してから半世紀 50年以上 車がない生活をしたことがありませんでした。運転することも大好きだったし 自分だけの車を持って 三年毎に車を買い替えることも楽しみの一つでした。幸いにして 自分の会社を持っていたので 自分の好きな車にできたということが 働く上での楽しみにもなっていたのです。
辞めたスポーツは ゴルフです。 車の運転ができなくなると 打ちっ放しのゴルフ練習場にも自由に行けなくなったからです。もともと上手いわけではないし それほど好きなスポーツではなくて良かったです。
ただ ゴルフというスポーツは 人の輪が広がり 社交の場としては 健康的で 年齢に関係なくできる素晴らしいスポーツであったことは確かです。そういう意味では ゴルフができなくなったことは残念です。
できなくなったことへの寂しさ、虚しさは きっと誰もが感じることだと思います。
しかし 今 失いたくないものを考えると 物ではないように思えます。
失いたくないものを考えるとき 他力本願の考え方だったり 自分ではどうすることもできないことに期待するということは いずれまた 寂しさや虚しさを増すことになると思います。
例えば 友達や孫が来ることを楽しみにしていること、 友達や孫と一緒に過ごす時を大切にすること等は 期待を裏切られたときに がっかりするものです。
ですから 失いたくないものは 自分の中に持つべきだと思います。
自分の中で失いたくないものを考える、自分だからできることを考えるべきです。
とても難しいことだと思うけれども 他力本願はやめるべきだと 私は考えています。
物や 人への期待ではないとしたら 失いたくないものは何でしょう。
自分の中にある 人への感謝、人への愛、人へのできること、私はそう思っています。
私が 今できることはなんなのだろう?
自分の中で 失いたくないものって なんだろう?
私の場合は それは 一番難しいことかもしれないけれど
自分の気力なのかもしれません。
自分のために行動するというのは 気力が失ったとき
先に進められないものです。
誰かのために何かをするという気力が
大切なのかもしれないと考えています。