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承認欲求を否定すると自己肯定感までゼロになる

 マズローは現代人にとっても、とても新しい心理学だと思います。

 例えば「承認欲求」ということばが、今心理学ではキーワードの一つとなっていますよね。マズローは承認欲求を自己肯定感を高めるために不可欠な大切なものとして扱いました。

 日本で最近、特にこの「承認欲求」が注目されたのは、アドラー解説書がそれを徹底的に批判したことが大きいでしょう。

 マズローが大切な考え方としたものを、アドラーが徹底的に批判しているということになっているのですが、それは、実はそんなことはなかったのです。アドラーも、承認欲求を明確に否定なんかしていません。

 こんな箇所でしたね。

承認欲求を否定する

哲人 ご両親の意に添って進学先を決めたとき、あなたはご両親に対してどのような感情を抱きましたか?
青年 複雑ですね。恨みがましい気持ちもありましたが、その一方で安堵感があったのも事実でしょう。この学校ならさすがに認めてもらえるだろう、と。
哲人 認めてもらえるとは?
青年 ふっ、回りくどい誘導尋問はやめていただきましょう。先生もご存じのはずです。いわゆる「承認欲求」ですよ。対人関係の悩みは、まさしくここに集約されます。われわれ人間は、常に他者からの承認を必要としながら生きている。相手が憎らしい「敵」ではないからこそ、その人からの承認がほしいのです! そう、わたしは両親から認めてほしかったのですよ!
哲人 わかりました。いまのお話について、アドラー心理学の大前提をお話ししましょう。アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。
青年 承認欲求を否定する?
哲人 他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。ここは強くいっておかねばなりません。
青年 いやいや、なにをおっしゃいます! 承認欲求こそ、われわれ人間を突き動かす普遍的な欲求ではありませんか!

『嫌われる勇気』P13-132

 哲人と青年が対話しています。青年は「承認欲求」を否定したら生きていく原動力がなくなってしまうのではないか(もう少し後の方だとさらに他人との関わりがなくなってしまうのではないか)と心配します。それはそうでしょう。この心配は間違いなく当たります。

 有名な箇所ですが、ここで、ちょっとこの岸見一郎さんの書き方も悪いのですが、読者は「承認欲求」って全部いけないんだ、と思ってしまいます。

 でも、承認欲求を全部否定するのは間違いです。わざわざアドラーの原著を読む人はめったにいないので、読者が間違って読んでしまうのも無理がないのですが……。

(゚0゚)アドラーが「承認欲求を明確に否定している」なんて事実はない


 他人から認められる承認欲求は、確かに他人に振り回される人生になってしまうので良くないケースも中にはあるでしょう。しかし、『嫌われる勇気』はそういう書き方をせずに、承認欲求が全部悪いとしてしまっています。

 ここで、注意喚起しておきますが『嫌われる勇気』をアドラーの主著だと思っている人も実際にいるみたいなのですが、アドラーはこんな本は書いていません。これはあくまで、数え切れないほどあるアドラー解説書の中でもかなり極端なアドラー解釈であり、心理学を専攻としていない人が書いた自己流解釈、創作対話物語の本です。

みこちゃんの注意喚起

 そもそも、アドラーの著書のどこを読んでも「承認欲求」を明確に否定している箇所はありません。

 岸見一郎さんの、誤読と捏造だとはっきり言っている人もいるくらいです。

 この記事の中に、確かに承認欲求は注意しないといけないよ、という箇所が紹介されていますが、単なる一例にすぎず、とても『嫌われる勇気』で断言されたような「承認欲求を明確に否定」ではまったくないです。

 ですので、「承認欲求はいけない」という人はnoteやブログで「アドラーがそう言っている」ではなく少なくとも「岸見一郎という人がアドラーを参考に創作した物語の中でそう言っている」と言わないと嘘を言っていることになってしまいます。ついでにトラウマも否定していませんので、それも注意して記事を書かないとまずいです。

 みこちゃんは、誤読と捏造だとは言いません。あれは小説みたいなものですから、何書いても作者の勝手、読者がアドラーが言ったと間違えることも自己責任なのです(というか、ああ書かれてしまうとしょうがない)。

承認欲求は2つに分けないと自己肯定感までゼロになる

 ではここで、マズローの「承認欲求」を見てみましょう。アドラーにも大学で直接学んだマズローですが、承認欲求については師匠の説(他者への承認欲求には注意も必要だよ)を受け継ぎながら、遥かに丁寧に承認欲求を現実的に、また誰もが納得できる形に仕上げています。

我々の社会では、すべての人々(病理的例外は少し見られる)が、安定したしっかり した根拠をもつ自己に対する高い評価、自己尊敬、あるいは自尊心、他者からの承認などに対する欲求・願望をもっている。

『人間性の心理学』P 70

 これが、マズローの承認欲求の定義です。
 
 つまり、マズローは「安定したしっかりした根拠をもつ自己に対する高い評価、自己尊敬、あるいは自尊心」「安定したしっかりした根拠をもつ他者からの承認」などの欲求願望を言っています。

 こういうことですね。

自己に対する高い評価、自己尊敬、あるいは自尊心は、自分に対する承認欲求です!

 自分を自分で褒めてあげること、これは、誰にも振り回されませんし、それどころか、自己評価、自己肯定感をアップするには欠かせません。また、神経症的な欲求にならなければ、他者に認められることも肯定しています。

 だから、少なくとも、自己肯定感を上げたいと思っている人は、アドラーが書いた本は読んで良いのですが、岸見一郎さんの『嫌われる勇気』を読むと、正反対の方向に行ってしまい、自己肯定感が上がるどころか、下がりますし、明確に否定されてしまうのでゼロになってしまいます。

まとめ

 今回はいつものお釈迦様は……という話までいきません。

 というのも、承認欲求、それからトラウマ(「トラウマはない」というあの話)については、仏教と比較して考察する以前に、今日本ではかなり間違った考え方が広まってしまっているので、そこを整理しないといけないからです。

 自己承認欲求とその満足がないと、仏教の修行や瞑想やマインドフルネスなんてまったく先へ進まないのは明白だからです(笑)。

 そこを整理しておかないと……うん、いま自己啓発系心理学界隈はとてもまずいことになっていると思います。

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