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「学び」よりも大切なことを忘れない
私たちは「学び」という言葉を、全面的に肯定しています。学ぶことは良いことだと無条件に肯定しているわけですね。
でも、本当に「学び」とはそれほどまでに素晴らしいことなのでしょうか。
意外なことに、禁欲をしてひたすら仏教修行を学ぶことを説いたように見えるお釈迦様は「学び」をそれほど重んじていませんでした。むしろ、ある場合には「学び」はほんとうの意味での仏道修行、悟りの邪魔どころか、道から外れたことにもなると言っているのです。
そこで語られるのは、お釈迦様の弟子のエピソードです。
お釈迦様の(多分イケメンの)弟子に恋をしてしまったお嬢さんがいました。青年仏僧は愛の告白を受けたのですが、なんと「私は澄んだ清らかな清流であり、そこに泥(女性のこと)が付着した葉っぱが浮かんでもどうってことはない、あなたなんてそんなもんです」(゚0゚)と言い放ったのでした。
これは、「学び」という点からはたしかに仏教優先で正しいように思えますが、お釈迦様は、こりゃあかん( U_U)だめだこりゃ……とおっしゃいました
それはそうですよね。
じゃあ、お釈迦様はどう言ったのでしょうか。もちろん、お釈迦様ですから「女性に対してそういうクチの悪いのはやめなさい」とか普通の説教ではありません。
ものすごく説得力のある話で、最後は「学び」よりも大切な「〇〇」を忘れるな、と諭しています。
とても感動的な話なので、ぜひごらんください。
(^-^)