【幻想一品】兜から考える幻想世界①
こんにちは、同好の友人たち!
今回は兜から幻想世界を眺める試みだ。
ちょっとこのようなシチュエーションを空想して欲しい。
この①~③のそれぞれの情景から、きみの思い描く戦士は一体どのような姿だろうか。
さらに言おう、どのような兜をかぶっているだろうか?
奇っ怪な思考実験のようだが、今回はこれを考えるきっかけを三つの視点からチャレンジするよ!
(ファンタジー世界に正解はない。視点はあくまで"それらしさ"を助ける補助線だ。ファンタジーへの知識は、最適解に収束するのではなく広がりを持つものだと考えているからね!)
三つの視点
最初は第三者から見た兜について考える。最初なのに三人称からスタートとは、と感じるだろうが、これには理由がある。
僕らはファンタジーイメージに対して、遠くから接近していく立場にある。最終的には手に汗握るRPGや小説のように戦士や魔法使いの主観(一人称視点)に近づき、彼らの呼吸や汗、早まる鼓動を直に感じることを目指していくが、それは仕上げの部分になる。
まずは僕らに近い一般的な目線。戦士を迎え入れた村人、彼らを襲うべきか遠目に眺めるならず者の目線になって兜を見ていこう。
キミが戦士を見つめるとき
兜というものは構造的に、どうしても装着者に負荷を加えてしまう。
暑い、蒸しっぽい、寒冷地ではとても冷たくなり、うっかり素手で触ると怪我につながる。それだけでなく、狭い視界、聴覚の低下、こちらの声が外に聞こえにくいといった部分は、戦士たちの恐怖に直結するだろう。
ではなぜこんなものを装着するのか。それは危険が差し迫っているからだ。
つまり、重装甲の兜をつけた戦士を君が見ているなら、その戦士はかなり高いレベルの戦闘準備に入っていると言える。
そのことが分かっている戦士同士であれば、兜の奥の獰猛な表情を、(或いは恐怖に歪んだ顔を)面頰の奥に見ることができるだろう。
武力の本質
大国の軍隊でも、無軌道な若者の鉄パイプやメリケンサックでも、武力の本質とは無理を通すことであると思う。
傷つけることが目的なのではなく、戦いの発生は外交の延長、或いは外交の失敗と見る考え方だね。
ファンタジー世界において暴力の行使を目的とするサディスティックな連中は実に魅力的だが、それらは少なくとも一般的ではないと考える。ドワーフの戦鎚も、ゴブリンの錆びたダガーも目的は『俺にそれをよこせ』とか『近づくな』『喧嘩をうるな』とかの意思を通すためにある。
武力の本質をそう定義するなら、武器だけでなく防具も、戦ったら怖そうであるほどよい。目線の高さにあり、すぐ目につく兜は何よりも怖さを重視する設計となる。
高貴さの象徴
兜にはただ恐ろしいだけでなく、同族からの尊敬を集めて交渉を優位に進めたり、信用を得る用途で用いられた。所属するコミュニティーによるが、相手を恐怖させる兜(禍々しい角がついたものや、生首などがあしらわれたもの)が常に戦士たちの活動にベストであったとは限らない。
多くの社交的なコミュニティーにおいて、彼らはより尊敬され、あわよくば酒場での一杯目をおごってもらえるような一品を望んだだろう。兜は鎧に比べて汚れにくく、机にドンと置くことができるので、すぐさま注目の的だ。
旅人の戦士を想像すると、彼らは様々なコミュニティーに属すことになる。一般に広く尊敬を集める条件は、高度な意匠が凝らされていること、有名な神様や神話をモチーフとしていること、そしてとてもよく磨かれていることだろう。
常時身に着けるタイプの兜であれば、すぐに汗や泥、雨でさびがついてしまうため、四六時中手入れをする必要がある。良く磨かれた装備は着用者の勤勉さや、従者を常に雇用できる経済力を見せつけることができる。
また、道のりは長いかもしれないが戦士の兜自体が広く認知された存在になったとしたら、素晴らしい名誉だ。飲んだくれの客が『その兜! あなた様はもしや!』と目を丸くしたのなら、その夜は間違いなく最高だろう。
まだまだ眺めはじめ
今回の記事はこれで終わりになるが、まだまだ兜への考えは始まったばかりだ。
前半は第三者から見た兜について考えてみた。後半は『相手からみた』つまり武器を叩き込む立場から考えた兜、そして『自分からみた』着用者の目線で考えた兜について書いていくよ。
ところで今回の記事を書くにあたっていろいろな調べものをしたのだが、とても興味深い13世紀の装備を着るチャレンジを撮影した動画を見つけたよ。すごくイメージが深まるコンテンツだったので是非見て欲しい。鎧に詳しい人がよく言う、ちゃんとフィットした鎧は動きやすいという事がよくわかる動画だ。
以上だ!
良ければ次回も楽しんでほしいな!
それではまた次回! 良き旅を!
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