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「オッサンの放物線」 #17言葉を越えてゆけ

~連続しょうもな小説~
「オッサンの放物線」 第十七話 言葉を越えてゆけ

〜この物語はフィクションであり、着地点は無い〜

2023年5月10日
今日は休みだ。
朝8時過ぎまでベッドでゴロゴロしている。
夢と現実の間のとろりとした頭の中で、10年程まえの事を思い出している。
私の右の眉毛(あなた方から見て左)の中で、一本だけ異様に長いのがあった。
ちゃんと計っていないが、3センチはあったのではないか。
「老人眉」というのをご存知だろうか。
老化により眉毛が本来の周期を忘れて、抜けることなく伸び続けるらしい。
当時、私は40歳になるかならないかくらいであったが(とうとう老化が来たか)と、思ったのであった。

しかし、私はこういうものは大好物で。
ずっと切らずに置いていた。
時々思い出しては、指でそーっと引っ張って長さを味わっていたのだ。
しかし、人間はミスを犯す。
1000円散髪のお兄さんに、あっけなくチョキンとやられてしまったのだ。
「あ、それ伸ばしてるんです。」もしくは「あ、それ大事なやつなんです。」と言えば良かったのだ。
しかし、まあ。
今やったら、言える。今やったら言えるけど、当時の私にそれが言えたか…。

さあ。そろそろ起きよう。
食パンを焼いてコーヒーをいれる。
コーヒー飲もうとしたら、カップの縁に毛が付いていた。
摘んで捨てようとしたら…。
「どうも…。あんときの眉毛です。」
「え。」
「あんときのま、」
吹き飛ばした。

気を取り直してコーヒーを飲もうとしたら。
部屋の隅(さっき毛を飛ばした辺り)に真っ白な全身タイツを着た人(の様なもの)が体育座りをしている。
その全身タイツは頭まで繋がっているので顔も見えない。
そして、顔の部分には「A.M.」と大きく書いてあった。
こちらを見ているようであるが、目を合わせないように注意しながら気づかないふりをしてコーヒーを飲む。
じっと見ている…。
こちらを。
意を決して、ガッと視線を向けると。
目をそらした。
(めんどくさい奴っちゃのう。聞いて欲しいんやろう。そのA.M.って何か。)
絶対に聞かない。
答えは解っている。
どうせ「あんときの、眉毛」やろう。
お互い見たり、目をそらしたりの攻防の末。
A.M.は諦めたようにどこかへ立ち去った。

その後、私はフィットネスクラブへ向かう。
通い始めていたヨガ教室は結局閉店してしまった。
他の教室を探したが、どこも月謝が高い。
それならば、トレーニングジムとプールとヨガやエアロのプログラムが全部込みになってるフィットネスクラブの方が安いではないか!
しかも少々勿体ないと感じていたパソコン教室の駐車場代が相殺される。
導かれている。完全に導かれとるなあ。
ケケケ。

今日はヨガや太極拳、ピラティスなどの動きを取り入れたオリジナルレッスンだ。
平日の昼間、「おばあちゃん」に限りなく近い「おばちゃん」達に混じってレッスンを受ける。私は初心者なので一番前に陣取る。
インストラクターは若い女性だ。
さすがに鍛えられた素晴らしく美しいスタイルだ。
じっと見てしまう。
じーーーーーーーーーーーーーーーーーっと見てしまう。
いやいや!しょうがないだろう。レッスンなんだから!
見るのは当たり前だろう。動きを真似するのだから。

「それでは、仰向けに寝てくださーい。」
じーーーーーーっと見て。真似る。
「膝を立てて、腰を浮かせまーす。」
じーーーーーーっと見て。真似る。
「挙げてー。」
「下げてー。」
じーーーー。
「挙げてー。」
「下げてー。」
じーーーー。
「速くなりますよー!」
じーーーー。
「挙げて!下げて!挙げて!下げて!挙げて!下げて!挙げて!下げて!」
カクカクカクカクカクカクカクカク!
ケケケ。
本当はアカンねやろな。私の様な人間がここに混じるのは…。
プールで2000m泳いで風呂に入って帰った。

2023年5月12日
今日は午後の勤務。
家を出て車に乗ろうとすると、ドアノブの所に虫が止まっている。
皆さんはこの虫を何と呼ぶのだろう。
私の故郷では「ガガンボ」と呼ぶ、蚊を大きくしたような虫だ。
よく壁などに止まってギッコンバッタンやっているアレ。
今、正に私の車のドアノブに掴まってギッコンバッタンやっているのだ。
「ソレ。何やってんの?」
私はちょいちょい虫に話しかける癖がある。
「旦那様の真似でさあ。」
答えた…。
「ヨソでやってくれ。」
私は手でガガンボを払いのけ、車に乗り職場へ向かった。
車を発進させた時、視界の端に白い全身タイツが写った気がした。
(今の、アイツが言ったんちゃうんか…。)
ひょっとすると、今までで一番うっとおしいキャラクターかも…。

2023年5月13日
今日は休み。
朝は語学アプリを使って、韓国語を少しだけ勉強する。
そして昼から雨の予報なので、午前中走る。
走りながら言葉について考えていた。
今、私はその語学アプリを使って中国語、韓国語、英語、エスペラント語を勉強している。勉強と言うよりは携帯ゲームをしている感じだ。

50歳近くになって語学を始める意味。
私には無い。
使う用事が無い。ケケケ。
しかも一つの言葉を集中して勉強すればもう少しまともに話せるだろうが、初心者のうちから4カ国語やっている事になる。
出来るわけがない。

しかし、頭の中が語学カオスになることによって、モノの見方が変わってきた様に思う。
例えば、犬を見た時。
普通なら、ただ「犬だ。」で終わるのが、狗であったり개であったりhundoであったりdogであったりするのだ。
そうするとモノの名前というのがただただ言葉であって、犬の本質ではないという所に落下する。
私が見ている犬は「犬」でもなく、「狗」でもなく、「dog」でもないのだ。本当は。
言葉を学ぶことによって言葉の向こう側を見る。
なんのこっちゃ。

そういう訳で、最近走っている時にはできるだけ見たものを言葉に変換しない練習をしている。これがなかなか難しい。
山を見て「山」と思わず、花を見て「花」と思わず、「ああ、綺麗やなあ。」と思わずに、ただ呼吸のみでその景色を味わうのだ。
もちろん「なんか膝痛いわあ。」も言語化なしで味わう。
やっていると、ある場面を思い出す。空手の試合だ。
「あ。右から打ってくる。」とか考えてたら遅いのだ。アレは。
「剣」と「禅」が同居するのは、そういう事だろうか。
言語化にはタイムラグがある。
とはいえ何時間も走っても、出来るのはほんの一瞬だ。

そうこうして、今日は20kmで終了。
ラスト1kmスパートをかけて、気持ちよく家に帰ろうとすると聞こえた。
「そんなん言いながら、思いっきり言葉で思考してますやんか。」
電信柱の影に、体育座りをする全身タイツが見えた。
アイツ、ほんまにうっとおしいわー。


つづく。