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子供たちのフォロー②

どれだけ願っても、
犬は猫にならないし、
カブトムシはクワガタにならないし、
ネズミはミッキーにはなりません。

それが叶わないことを本気で悲しんでる人がいたら
『は?ばかなの?』
と、思うレベルで、
モラ父は、素敵な父には変身できません。


そして素敵な父ではないというその事実には、妻にも子供達にもなんの責任もない。
私たちがなにをどう努力しようが、ネズミはネズミ。
悲しんだところで何にもならないし、ネズミであることに罪悪感を感じる必要もない。

そしてそのネズミはネズミで、変身する気がさらさらない。その気があるならミッキーの真似する素振りも出るはずだけど、皆無だったことが証明している。

本当は、
変身元はただのネズミでもなく、暴言菌を撒き散らすドブネズミ(ドブネズミにも失礼?)であり、
こちらが願う姿はミッキーというスペシャルな存在を求めているわけでもなく、世間一般に多数存在する『最低限家庭を守れるお父さん』なんですが。(そこは言わないけど。)

モラ投げ罪悪感など、要らない。
寂しがる必要もない。
子供達にそんなものマイクロサイズでも持たせたくない。

そんなこんなで、言われのない罪悪感を消したいのはマスト。そしてメルヘンな変身願望を断ち切るだけではなく、元気を出して欲しい。
子供達が喜ぶこと、夢中になることをたくさんやることにしてみました。

①子供に暑苦しいくらい大好き大好き言いまくる

②(子供の)友達と遊ぶ機会を大事にする
友達との遊びお出かけ、家に友達招いて遊ぶの大歓迎!
なんならお友達も連れて一緒にお出かけ。

③私の友達をたくさん家に招く
(まともな人にたくさん関わって。)

④子供の希望のお出かけに行く。旅行も。

⑤好きなものを一緒に食べる。

⑤反抗期の言葉は、受け返し
うざいー!と言われたら、
『あらどうも❤️"うざい"は親への褒め言葉❤️
 お母さんは長男ちゃんのことかわいいわ❤️』

初めて言った時は、驚きながら
『うざっー☺️うざいが嬉しいとかやばいでしょー』と言って笑ってた。

そんなことを続けていると、子供達の不安感、罪悪感が薄れていったように思う。

反抗期息子は、別居開始当時はガラスのハート、危うい空気を纏ってガルガルしていたけど、今はなんだか角が取れたように丸くなり
物理的にも心理的にも距離が近くなり、
家の中でも割と近くで安心した様子で過ごしている。
娘が寝た後の2人タイムでは、よく他愛のない会話をして談笑し、話さなくともすぐ横ですまほいじってたり。
お小遣いで、私や妹におやつ買ってきてくれる日も。

娘は娘で、
前は割と必死に『お父さんにもこんないいことあったよね?』と、気を遣いながら取り持とうとすることもあったけど、
『お父さんが、子供のことが大好きで、家のこともしてくれて、仕事もちゃんとしてくれるお父さんだったら良かったのにね。でも違うもんね』
と、現実を受け入れたような発言が出るようになった。
(娘よ、その条件は、割と強く望まずとも当たり前のレベルなのだよ。)

本当に、穏やかな時間が増えた。
心の整理がつけば、あとは楽しむだけだ。