音楽は人を傷つけない
初めてピアノに触れた5歳から大学受験までお世話になった私のピアノの先生は、とても敬虔なクリスチャンの女性だった。手が小さく、センスも才能も何もない私にとことん向き合い、ピアノの基礎と、音楽の楽しさと自由さと奥深さを教えてくれた。
先生はまさに命懸けで奏楽の奉仕をしていた。祈り、聖書を読み、様々な楽譜を引っ張り出してピアノの蓋の全面を使って広げまくる。その中から納得のいく賛美を選んでいくのだが、これがなかなか大変なのよといつも言っていた。
実際、この奏楽の準備や練習の後にレッスンに行くと、先生はもうすでに疲れ果てて上の空になっていることが多かった。
そんな真っ直ぐで少し天然な先生からもらった、とても大切にしている言葉がある。
中学生の頃、とあるコンクールの舞台袖でガチガチに緊張している私にかけてくれた言葉だ。
「言葉は、時に誰かを傷つけるかもしれない。
でも、あなたが今からする音楽は、たとえ失敗しても、何があっても、決して人を傷つけることはない。
自由なの。
音楽は人を幸せにするためのものなの。
だから絶対に大丈夫。」
そうか。私が失敗したからといって誰も痛くも痒くも何ともないのか、と少し緊張が和らいだくらいで、当時は軽く受け流していたように思う。
大学生になり、ある授業で「感情」と「音楽」との関係についてレポートを書かねばならず、慣れない活字に四苦八苦しながら本を読んだ。
人が音楽を聞いて、感情は生まれるのか。
それはどんな感情なのか。音楽によって異なるものなのか。
結論をまとめると、好きな音楽を聞くと快楽中枢が働き、報酬やポジティブな感情に関する脳内の領域への血流が増える。
一方「怒り」のようなネガティブな表現の音楽を聞いても、それを「怒り」と認識するだけで、自身の怒りの感情は抱かないという結論だった。(ジョン・パウエル著「ドビュッシーはワインを美味にするか? 音楽の心理学」より)
この時、先生のあの言葉がふっと浮かんだ。
「音楽は人を傷つけない」
これはただの励ましではなく、事実だったのだ。10年の時を経て、点と点が真っ直ぐな線で繋がった瞬間だった。
本番前の緊張は毎回訪れる。その度に祈る。
大丈夫、誰も傷つかない。
神様、いろんな心配がありますが、全てあなたに委ねて、演奏できますように。
(ここで良い感じに終わりたいけど本音↓)
ただし、例外がひとつ。
自分の演奏の録音だけは本当に傷つくことが多い(笑)その時は弾けた!!と思っても、すごく表現できたつもりでも、聞き返すと笑えるほど良くない。
いつか気持ちよく自分の録音が聞ける日が来るかしら、、
ううぅ、、来てほしい、、