今を詠むゼロ年代最高の小説
はじめに…
ここ何年か久しく小説など読んでいなかった、
学生の頃から趣味であるとしていたものだったが
一人暮らしを始め、社会人になり
時間が…とか、家事が…とかで
あまり本を読まなくなった。
そんな私だが、大学の卒業論文で研究?したのは
ある小説家についてだった。
それは論文と呼ぶにはあまりにも柔らかい文体で書かれ、結論を濁すような、それでいてなんとなく構成としてはまとまった、エッセイのようなものであったのだが…
その小説家の遺した作品を介して現代社会を見ていこうと思う。
とまぁ、すごい硬っ苦しい文章で書きましたが
今話題のロシアとウクライナを予見するような
小説、小説家を研究してたので、それについて喋らせてくれということです。
伊藤計劃「虐殺器官」をバイパスして見えた
ウクライナ危機
概要:「虐殺器官」
ゼロ年代最高のSFと名高い小説で、
07年、小松左京賞最終候補作品の一つ。
超有名な作品とは言えないが
知る人ぞ知る名作と言ったところだろう。
17年、Project Itohの一環で
村瀬修功氏監督・脚本で劇場アニメ化
劇場アニメ制作にあたっては
表現方法の追求、制作体制の見直しなどから
度々延期。
前任の会社が経営危機となり
プロデューサー山本幸治氏が設立した
「ジェノスタジオ」が制作にあたった。
アニメ映画の監督の村瀬氏は
昨年ネットムーミーになるなどし、
ガンダムファンのみならず世間でも話題になった
「閃光のハサウェイ」でもメガホンを取った。
救いようのないハサウェイの話を
伊藤計劃作品を描いた人がどう落とすのか
とても気になるところではあったし、
超音速で繰り広げられる
MS戦をどう描くかも気になるところだ。
そしてプロデューサーの山本氏は
PSYCHO-PASSなどの作品で有名。
「ノイタミナ枠」の生みの親であり、
PSYCHO-PASS3では
深夜アニメの枠を30分から1時間にするなど、
日本のアニメ文化を変えうる一人であるのは
言うまでもないだろう。
いい大人たちが
夢中になって延期に延期を重ね
映像化させた小説の中身とは一体…
あらすじ:9.11を機に転機を迎えたテロとの戦い
先進国は徹底的な管理体制に移行、テロを一掃したが、後進国では内戦や大規模虐殺が急増。
米軍の特殊部隊大尉のクラヴィスは
その渦中にいる男、ジョン・ポールを追う…
アニメ映画での設定では
クラヴィスとジョンの鬼ごっこはなんと2020年
物語の序盤、
クラヴィスがジョンについて語るのが2022年
舞台は2020年代前半、まさに今である。
そして物語はサラエボから動く。
年代は偶然だが、東欧からという点も
タイムリーな物語だ。
注意:アニメ映画と小説では差異はあるが、
あくまで目的は
「虐殺器官で読み解くウクライナ危機」なので
これが小説でアニメで、
みたいな話はするつもりはない。
それはまた、
虐殺器官について語る時にでも話すとしよう。
そしてウクライナについても
91年ソ連崩壊、現在のウクライナ誕生から30年近くの歴史があり、掘り返せばキーフルーシ時代まで歴史があるわけだが、あくまで現在のウクライナ危機についてピンポイントなので悪しからず…
虐殺器官の世界線は9.11以降、
テロの時代と化し虐殺や内紛が頻発する時代。
そこで虐殺の渦中、ある男が浮かび上がる。
それを特殊部隊が追う話。
ロシアが行なっている侵略と何の関係が?
と思われるだろう。
注目したいのは根本である「虐殺の文法」
についてである。
物語の根幹であるこの文法、
細々とした説明はあるものの、
やはりパッとしないのが事実。
この「虐殺の文法」を使われたものは
簡単に言うと
精神的に狂い、人殺しを行う方向へ向かう。
こういうのは映画の方がわかりやすい。
冒頭でアレックスが狂い始めるところなんかは
とてもわかりやすく
「虐殺の文法」が描かれている。
その対比として描かれているのが
米軍の特殊部隊が行う感情調整。
「どうです?今なら子どもも殺せそうですか?」
という狂った問いをかける精神科医によって、
任務遂行に向け
脳や感情のベクトルを動かされる。
そんなもの実在するはずがないと
思っていたが、
今回の戦争である考えが浮かんだ。
ゼレンスキー大統領のパフォーマンスこそが
実在する「虐殺の文法」なのではないか。
いわゆる陰謀論的なところでもなんでもない。
ゼレンスキー大統領によるSNSでの呼びかけが、
ウクライナ市民の感情を
勝ち目のない戰に向かわせ、戦場の兵士たちの士気を高揚させ、かろうじてロシアからの侵攻を遅らせているのではないかと私は思う。
侵略戦争を行うロシアを擁護するつもりは
毛頭ないが、この戦禍を収めるには
負けを認めるべきだと思う。
よく、もし中国が侵略を仕掛けてきたらに
置き換えて考えろという輩がいるが、
そうなった場合も同じだと思う。
勝ち目のない戦いを続け、戦禍を広げ
被害は増え続け…
これに何の意味があるのか。
侵攻を受けた時、白旗をあげ、
即刻話し合いに持ち込めば
落ちるところに落ちるはずだ。
プーチン氏の本心や侵攻の狙いは
分かりかねるが、ドンバス地方から
クリミアまでを獲得できれば終わる話だと思う。
必要以上の抵抗を見せたから、今のような惨劇になっているのではないだろうか。
国家の尊厳が武力を以て侵略されることは
国連憲章にも反するし、良くないことだが、
強いものが勝ち弱いものは負けるのは
当たり前の構図で、全社会共通のルールだ。
日本国内も例外ではない。
受験も、就活も、仕事も、恋愛さえも
頑張ったからって認められるよう出来ていない。
受験勉強頑張ったからって、
勉強できるやつよりいい高校は選べないし、
やりたい業界には行けても、
やりたい仕事なんて実力ありきだし
恋愛だって、結婚という執着点を見据えた時
ものをいうのは資産が多い方がかつ。
どこまで行っても人類史は
侵略の歴史だと痛感させられる。
ジャンケンでチョキがグーに勝てないのと
同じ理屈でウクライナ軍が押し返すシナリオはあってもそれ以上は無理だろう。
だとしたら何を守るべきだったのか…
国家とその元首である我が身とその尊厳
なのだろうか?
逃げに逃げ、売国奴と言われても国民の命を守ることなのではないだろうか?
白旗を上げた時、ロシアの侵略がどれほど
進むのか、ウクライナという国が
どこまで残るのかはわからない。
侵略が止まらず全てを奪われるかも知れない。
あるいはクリミアまでの
道のりだけかも知れない。
国家元首をすげ替え、
傀儡政権を作り出すかも知れない。
どうなっていたかは分からないが、
無益な争いはさけるべき世の中なのだろう。
と、言いつつ私は勝ち目のない相手に向かって
噛みついてしまいましたが…
何なんでしょうね、自分の正義が踏み躙られるとついやってしまうのだ。
まぁつまりはそういう部分を刺激するのが
「虐殺の文法」と言われるものなのだろう。
あとがき
卒論を書いていた時
何年か前の記事で伊藤計劃氏のトリビュートで
人の思考に刺激を与え、自殺に向かわせる
死刑を行う料理人。
みたいな設定の小説があるみたいなのを
読んだことがありました。
なるほどこれか!と思いました
脳の報酬系に直接働きかけるのが
「虐殺の文法」を見える化したものだと。
そういう点で考えれば
ゼレンスキーの演説は、ウクライナ市民の
報酬系に働きかけているように見える。
さすが、俳優出身と言ったところだ。
日本もそういう人が政治をやれば…
おっとなんか変な新撰組が来てしまったようだが
あれはアテにならないな♫