見出し画像

自慢話だが、時間がある

吾が輩には時間がある。
春休み、夏休みがくっついたようなものだ。休みの終わりはわからない。

今日は美術館めぐり。
国立新美術館、森美術館のはしご。人の山を見に行く土日と絵を見る平日とは明らかに違う。絵がゆっくりと見られるのだ。ハーグのマウリッツハウスほどじっくりとはみられないが、まあ、鑑賞できる。描かれた時代にタイムトリップする。でもこのころあまり誉められるようなことをしていないよね。フランスも、オランダも。スペインも。
17世紀、18世紀の宗教画も悪くはない。フランソワ・ブーシェも悪くない。が、コンテンポラリーが共感的に理解が進む。世界は今も、いつも、戦いと紛争の最中にある。かつては宗教紛争、1対1の権利闘争の手法として戦争であったと仮に単純化する。今は宗教紛争からイデオロギー紛争へ、権利闘争から覇権争いへと変遷し、どのフェイズへの対応なのかわかりづらくなってきた。同時にメディアも発達し速報も可能となり、恣意的な為政者の誘導も困難。報道からだけでは理解が進まないところはアートによる補完が可能ではないか?コンテンポラリーアートの可能性をその一点において価値を大きく見いだしたい。
ワールド・クラスルーム(森美術館)
なかなかすばらしいぞ。この時代を未来にどのように手渡すか、世界の教室は学びが大きい。
南北アメリカ大陸、中欧、アフリカ大陸が空白なのはご愛嬌かな。やはりアートは素晴らしい。
自慢だが、時間はたっぷりある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?