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INTJの日記(写真を撮ることの意味)

2024.9.21

私にとって写真を撮るという行為の目的は、
情報としての記録にある。

行った場所、
行った日の天気、
一緒に行った仲間、
そこで見た文章や絵や立体物。

記憶だけでは残しきれない年々薄れゆく当時の記憶
その時その場面、その国のスポットを細かく鮮明に思い出すために写真を撮る。

なので、撮影した写真は人よりも物が多い。

風景や、建造物を色々な角度から撮影し、
正面はこうだった
横から見るとこうだった
下から見上げるとこうだった
こんな形でこんな色だった
と、後から思い出して耽ったり、誰かに語ったりする時の情報源とすることが多い。


一方で、感情型の人に多い写真の撮り方というのが、
思い出としての振り返り
である。

行って、見て、聞いた物がどういう物だったか、
というよりも、
そういった体験をしてその時の自分の感情がどう揺れ動いたか、を
まるで追体験するツールのような意味合いがある。

例として私の姉のような、感情極振りESFJ領事館が撮った写真を見せてもらうと、
その写真のほとんどに人物しか写っていない。
誰と行ったかはわかるのだが、何処に行ったかがまるでわからない。
本人曰く、当時の写っている面子から、
何処に行った時の写真なのかはわかるらしい。
これもまた特殊な技能なのだと感心した。私からしたら、どの写真も人しか写っておらず、何処で撮った写真も同じように見えるのだが…。

写真を情報源、記録として捉えるT思考型

思い出の追体験と捉えるF感情型

もしかしたらTとFの違いだけでは無いのかもしれないが、身近でここまで異なった写真の撮り方をする人がいるのだなぁとしみじみしじみ

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