【小町がいたこと】 Episode⑤ また明日

「中学生のとき、私にも同性の友人がいたのよ。まあ、友人というより、誰より綺麗な私と仲良くしたがる人たち、と言った方が適切かしら」
「さっきの子たちみたいな?」
「そうね。騒がしくて、強引で、自己中心的で、くだらないプライドに行動を規定されてしまうような子たち。何度も話しかけられたりするうちに、なし崩し的に彼女たちのグループに加入してしまっていたのよ。当時の私は、今ほどクールに振る舞えていなかったのね」
「話しかけられたりするうちになんとなく仲良くなるって、別にごく普通のことなんじゃないかな」
「そういうものなの?」
「そうやって改めて訊ねられると、僕としても答えに困るけど」
 僕の曖昧な返事に呆れたのか、小町は一つため息をついてみせる。
「仕方ないじゃない。胸を張って友達と言えるような存在なんて、これまでに一人もいなかったんだから」
「一人も?」
 僕は驚いて小町の方を見る。彼女は表情を変えずに頷いた。
「ええ。私、一人でいることにまったく抵抗を感じないのよ」
 じゃあどうして、今はこうして僕たちと一緒にいるんだろう? と訊ねようとしたけれど、それは本題から逸れた質問だったので控えておいた。小町は続ける。
「体育の授業だとか、給食の時間だとか、気がついたらその子たちと一緒に過ごすようになっていたわ。そうやってなにをするにもグループ単位で動くなんて、それまでに経験したことがなかったから、本当にストレスが溜まってね」
「たしかに、小町には一番向かない人付き合いの形かもしれない」
 少し明け透けに言いすぎたかな、と思ったけれど、小町は特に気を悪くした様子もなく、僅かに目を細めて陽光を照り返す川の流れを眺めている。そのどこかアンニュイな表情から、僕は目が離せない。
「あるとき、グループの中の一人の子が誕生日ということで、パーティーが開かれたんだけど、私はそれに参加しなかったのよ。知り合って間もない人間の誕生日なんて、興味も関心もなかったから」
「そうしたら、険悪になってしまった?」
 僕がそう言うと、小町はあっさりと頷いてみせる。
「パーティーがあったという日を境に、その子たちは一切私に話しかけてこなくなったわ。それでも私が淡々としていたのが癇に障ったんでしょうね。どうにかして私を屈服させようと、くだらない嫌がらせが始まったのよ。教科書に落書きをされたり、下品な噂を流されたり、後ろからハサミで髪を切られたこともあったわ」
「それで、どうしたの?」
 そう訊ねながら、僕はなんとなくそこからの流れを想像することができた。
「髪を切られたときはさすがに頭にきてね。ハサミを持っていた馬鹿の頬を、思いっきり引っ叩いたわ。そうしたら周りを固めていた馬鹿たちが暴力だなんだと喚くものだから、順番に引っ叩いてやったのよ」
「それが噂の真相?」
「ええ。傷害事件云々っていうのは、私が叩いた中の誰かの親が勝手に言い出したことよ。たかが中学生の喧嘩で警察が動くわけがないじゃない。せいぜい、指導室に呼ばれてくだらない説教をされたくらいのものよ」
「ハサミを持っていたっていうのは」
「私の髪を切ったその子たちのこと」
「なるほどね」
 小町の口調は、最後まで淡々としたものだった。そこには強がりは含まれていなくて、僕に事情を説明するために、わざわざ記憶の中をひっくり返して取り出してみせたという、そんな義務的な億劫さが言葉の端々に漂っているだけだった。過去に起こったそのトラブルはただ煩わしい過去の出来事として記録されているだけにすぎず、それが悲惨で不幸なエピソードであるとは微塵も感じていないようだった。
「まあ、私が今話したことだって、主観的で都合のいい主張かもしれないわ。さっきの子達の言い分と比較して、どちらを信じるかは伊勢君の自由よ」
 その言葉に、僕への期待は感じられない。あくまでも選択肢があることを示しているだけだった。それは小町の有する潔さのなせる態度なのかもしれない。けれど、過去においても、今この時においても、彼女は当事者なのだ。それなのに、終始一貫してフラットな態度を崩さないまま、大事な判断をあっさりと僕に委ねようとしている。
 その姿に、一抹の寂しさを感じてしまう。
 だから僕は、その寂しさを振り払うように、はっきりと宣言した。
「僕は小町を信じる」
 そのとき、僕たちはようやく互いの顔を見合わせることができた。小町はいつもより少しだけ大きく目を見開いてこちらを見ていた。僕はその視線を正面から受け止める。
「私が顔だけの暴力女だったとしても?」
「それは君の言葉じゃない」
 僕は間髪入れずにそう返す。すると、小町は再び川の方を向いて、そっと俯いた。艶やかな長い黒髪が申し訳程度に揺れ、横顔を隠す。それから僕たちはしばらく黙っていた。
やがて小町はゆっくりと面を上げた。微かなため息が、せせらぎに紛れて僕の耳に届いた。
「伊勢君って、もっと冷静で合理的な判断のできる人間なんだと思っていたわ」
「冷静で合理的でありたいとは常々思っているよ」
「そうあれたら素敵だものね」
 僕はなんだか急に照れ臭くなって、うまく頷けないまま川の流れを睨んだ。冷静であることを志していた僕は、一体どこにいってしまったんだろう?
「とにかく、今回の件については、僕は君を信じることに決めたんだ。でも、もしも今後、君の行いが道理に反していると思ったら、そのときはちゃんと伝える」
「冷静で合理的な目線で?」
「常識的で倫理的な目線で」
「息が詰まる隣人ね」
「息抜きがしたくなったら、折原と話せばいい。あいつは女の子を楽しませるために生まれてきたようなやつだから」
 それは僕にしては珍しく気の利いた科白のつもりだった。けれど小町はくすりとも笑わずに、いつもの無表情で僕を見ている。
「とにかく、私が伊勢君に言いたいことは一つだけよ」
 ――なにがあっても、誕生日を祝いあうようなことはしないでおきましょう。
 その言葉に、小町の思いが詰まっているような気がした。彼女はもう、過去ではなくこれからの話をしていた。それは内容的には閉ざされたものだったけれど、間違いなく僕たちの未来だった。
 その日の夜、僕は折原に電話をかけて、小町の中学時代になにがあったのかを話した。するとその翌日には、根も葉もない噂を真に受けてしまったことを彼女に謝罪したらしい。まったく、僕には真似できそうにないフットワークの軽さだった。
「ああやって、あっさり自分の非を認めるのって、生きていく上でとても危なっかしいことだと思うんだけど」
 小町がため息交じりにそう言った。今日の放課後も、僕と小町は河川敷のコンクリートの斜面に座り込んで話をしていた。当の折原はというと、やはり他校の女子と会う約束をしているからと、早々に教室から消えてしまった。どうやら昨日にしたって、小町を避けて帰ったというわけではなく、ただ単に仲良くしている相手と遊んでいただけのようだった。
「多分、あいつもそれだけ小町のことを信頼しているんだと思うよ」
「そう?」
「うん」
 整った顔に懐疑的な険しさを僅かに滲ませながら、小町はなにかを考えているようだった。僕はさりげなく横目を滑らせて、その表情を見つめる。
「折原くんも、どうやら悪い人ではないようね」
 小町も折原の謝罪を受け入れてくれたことがようやくはっきりとわかって、僕は胸をなでおろした。けれど、今の彼女の言葉に一つの疑問が芽生える。
「小町は、最初から折原のことを信頼していたんじゃないの?」
 折原のことを信頼していて、その関わりを受け入れたからこそ、僕たちはあいつによって引き合わされ、今こうして話をすることができている。少なくとも僕はそう認識していた。
「さあ、どうだったかしら」
 それは小町にしては珍しく、歯切れの悪い言葉だった。僕がなにか口にするより早く、小町は立ち上がり、「また明日」と言って斜面を登っていってしまった。焦げ茶色のローファー、白いソックス、翻る紺色のスカート、晩春のぬるい風にたなびく長い黒髪。僕はそれら一つ一つを見送り、そして、小町とすごす明日のことを漠然と考えた。

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